カドグリからの電話
それは、6月初旬のことでした。
「おい、この音が聞こえるかい?」
電話口からは、会話がかき消されそうなくらいの轟音が響いてきます。
「何だって?何の音だい?」
私の声も、自然と大きくなります。
「軍のヘリコプターだよ。いま、町の上を低空飛行していった」
電話の相手は、カドグリ市内に住むアリ君。年齢は30歳前後でしょうか、単身赴任で中学校の英語教師をしています。首都ハルツームにいる私とは、ときどき携帯電話を掛けあう仲。よく「英語でしゃべる機会が少ないから、いい練習になるんだよ」と言って笑っています。私が訪問することのできないカドグリの様子も、折に触れて教えてくれます。
(「封鎖地区」の村の様子(紛争勃発前、2011年にカドグリ南方のブラム郡にて撮影))
「どっちの方角に飛んでいった?」
「東の方だ。朝の5時頃から、そっちで大きな戦闘が起きているらしい。砲撃の音がカドグリまで届いてくるんだ。ヘリを飛ばして、空からも攻撃するつもりなんだろう」
5月以降、人々が「封鎖地区」と呼ぶ反政府軍の実効支配地域に対して、政府軍の攻撃が激しさを増しました。雲の上の爆撃機からの空爆、ヘリによる低空からの攻撃、そして地上軍の侵攻。「封鎖地区」とは、カドグリで避難生活を送る多くの人々が、紛争が始まる前に住んでいた村々です。家族の一部を「封鎖地区」に残してきた人も少なくありません。故郷の村々を攻撃する軍用機が、そうした人々の頭上を出撃していくのです。
夜になり、アリ君がまた電話をくれました。
「今日は、とんでもない日だったよ。朝から2時間も3時間も砲撃の音がした」
「それで、その後は収まったの?」
「音は収まった...でも、収まったと思ったら、こんどは次々に、軍の病院に兵士の遺体や怪我人が運ばれてきたらしい。手術のためヘリでハルツームにも運ばれていったって...オレが見たわけじゃないけど」
今日のカドグリはそんな話で持ちきりだった、とアリ君は言います。
「今回は、政府軍も本気だよ。知ってるかい?先月の中ごろだったかな、ものすごい台数のクルマが、兵士を乗せてカドグリに入ってきたんだ」
「軍のクルマかい?」
「そうだよ、いつもの、銃をのっけたアレだよ」
紛争地で、それは標準的な軍用車両です。四輪駆動の小型トラック(ピックアップトラック)の荷台に銃座を据え付け、機関銃を装備しています。
「何台来たと思う?」
「何十台も、か」
「オレ、数えたんだよ。ちょうど、大通りの近くにいたからな。最初の日に400台。次の日は300台」
途方もない数の増強部隊です。
「あれ、みんな日本製のクルマだろ」
「えっ...」
そうです。そのタイプの軍用車両のほとんどが日本車なのは、周知の事実です。
「そうだよな、性能がいいからな...」
私が適当な言葉を見つけられずにいるうちに、アリ君は、
「そうやって、みんな、どんどん戦場に出ていくんだ。兵士はね、オレと同じくらいの年代だよ」
静かな口調で続けました。
「オレなんてさ、毎日毎日、出来の悪い生徒を相手にしていればいいけど、あいつらは...何かあったら、それで終わりだろ」
会話は、そのまま行き場を失ってしまいました。
ハルツームでは、政府軍が勝ち進んでいる様子が、毎日の新聞を賑わせていました。確かに、政府軍は少しばかり前進したようです。しかし、誰が「勝者」なのでしょう。
6月も終わりに近づくと、カドグリ周辺では本格的な雨が降り始めました。涸れ川がいきなり濁流となり、道路はあちこちで寸断されます。戦闘部隊の移動も難しくなります。そして、6月末からラマダン(断食月)が始まりました。
戦闘は、小康状態に入ったようです。しかしこの静けさがいつまで続くのか、人々は知る由もありません。
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