REPORT

スーダン

帰らない命

「みんな、カドグリから逃げ始めている。バスは毎日予約で一杯だ。バスに乗れない人がトラックの荷台にあふれている。カドグリはもうすぐ空っぽだ」

電話口のマルガニさんの声は、切迫しているというよりは、何か怒りを抑えているように聞こえました。カドグリ市内で商店を営む彼は、ずっと以前、私がカドグリに駐在していた頃からの知り合いです。首都ハルツームの私にかけてきた久々の電話で、何かを訴えたかったのかも知れません。

「いったい何のための選挙なんだ」
「マルガニさん...」
「選挙なんて、争いのもとになるだけだ。4年前のこと、覚えているだろう」

4年前、州知事選挙を引き金に始まったカドグリの市街戦。私は無事に首都ハルツームに退避しましたが、彼は店を略奪され、財産を失いました。マルガニさんだけではありません。戦闘は州内に広がり、村々は空爆を受け、家は焼かれ多くの家族が引き離されました。それは南コルドファン州の人々の記憶に深く刻まれたまま、今また「選挙」が近づいてきたのです。

スーダンは、南コルドファン州のほかに青ナイル州、そして国の西側のダルフール地方で長期にわたる紛争を抱えています。一部の地域は武装勢力の支配下にあり、この状態のままでは全土にわたって選挙を実施することもできません。

ですから、大統領選挙が行われる2015年に先立って、昨年からスーダン政府が「紛争の終結」などの目標を掲げて野党や武装勢力との対話に乗り出したことは、ある意味当然のことと言えるでしょう。スーダンの紛争解決のために努力してきたアフリカ連合などの国際社会も、この動きを歓迎しました。

しかし対話を呼びかけるポーズを取る一方で、政府は大量の兵力を動員して武装勢力の掃討作戦を強め、武装勢力の影響下にある村々への襲撃や空爆を繰り返しました。野党がこれを批判すると、政府は野党政治家を逮捕・拘留するなどの弾圧に転じ、対話路線は暗礁に乗り上げます。政府への反発を強めた野党は武装勢力とともに反政府連合を組み、紛争の終結や一党支配の終焉を求めて、政府との交渉と2015年選挙の延期を要求しました。

国際社会は、政府と反政府連合との話し合いの実現を目指して仲介の努力をしましたが、最終的にスーダン政府はこれを拒否し、選挙を予定通り実施すると宣言。主要な野党がボイコットする中、対抗馬が誰もいない大統領選挙が始まりました。投票日は、4月13日からの3日間です。

野党は、投票のボイコットを呼びかけるキャンペーンを開始しました。そして武装勢力は、このキャンペーンを「武力で」支援すると宣言。投票日の数日前には、南コルドファン州の幹線道路で、投票箱を輸送中の車両が武装勢力に襲撃される事件が発生しました。

「選挙が始まったら、投票所が攻撃を受けるとみんな思っている。武装勢力がカドグリに攻めてくるというウワサだってある。みんな、4年前のようになるのが怖いんだ」
「マルガニさんは、逃げなくていいんですか?」
「自分の店を放ったらかして逃げろって言うのかい? それに、そんなカネの余裕もないよ。あんたのスタッフは、どうなんだ」

カドグリから多くの人が逃げ出すと同時に、マルガニさんのようにカドグリに留まる人も少なくはありません。JVCカドグリ事務所の3人のスタッフは、いずれも家族と一緒にカドグリに住む地元住民のため、判断は彼ら自身に任せました。家族の中には仕事の関係でカドグリを離れたくない人もいるらしく、結局、3人ともカドグリに残ることを希望しました。

市街地を離れて郊外の村や避難民の居住区を見渡せば、州外に避難するような経済的余裕がある人はごくわずかです。その意味では、カドグリ脱出の動きも、一定の財産・収入を持つ人々の間での話に過ぎません。

          
                              (投票の様子を伝える新聞)

投票日の前日、そして投票日初日。不思議なくらい、カドグリは平穏でした。ひょっとしてこのまま何も起こらないのか...かすかな期待は、すぐに裏切られました。投票2日目の午後、武装勢力の陣営から発射された数発のロケット弾が郊外の住宅地で爆発。住民3名が犠牲になったのです。

そして3日目。投票時間が終了した夕方6時過ぎ、JVCスタッフから電話が入りました。

「いま、砲撃がありました」
「場所は? 場所はどこだ?」
「ここからは遠くて、よく分かりません。東側の丘のほうだと思うのですが...」 「ほかのスタッフは?」
「いま、電話で確認しました。みんな無事です」

すぐにマルガニさんに電話しました。彼が住んでいるのは市街地の東側です。

「そっちは...そっちは大丈夫ですか?」
「おお、わざわざ電話をくれたのか...こっちは何ともない。今日は立て続けに何発も撃ってきた。さっき、やっと収まったところだ」
「どこに落ちたのですか?」
「アル=ゴズのあたりじゃないか」
市街地から北東に3キロ、丘陵の裾野に広がる郊外の村です。

「さっき、黒煙が上がるのがここからもハッキリ見えた。人家のあるところに落ちたんだろう...」
どうやら、人家が直撃を受けたようです。


(被弾したアル=ゴズ地区の周辺には避難民が多くJVCもこれまで支援を行ってきた。
写真は2014年に撮影した地区の様子(写真は今回の砲撃と直接の関係はありません))

アル=ゴズ地区に、私たちの関係者が誰か住んでいたかどうか...しばらく考えて、思い当たりました。インティサルさん、お互いの活動で時々協力しあっている現地NGOのスタッフです。彼女が借りている家は、被弾した場所から遠くないはずです。

すぐに電話をかけました。携帯電話の呼び出し音は鳴っていますが、受信してくれません。
「大丈夫だろうか...」
人一倍活動的な彼女に限って、まさか巻き込まれてはいないだろうと思いながら、30分ほども待ったでしょうか。手元の携帯が鳴りました。

「インティサルさん、大丈夫ですか」
「ごめんなさい、クルマに乗っていて、着信に気づかなくて...」
「クルマ? こんな時に? いま、どこですか」

周囲はずいぶんざわついています。回線状態も悪く、人が泣き叫ぶような声が聞こえてきますが、雑音なのでしょうか。

「病院です。ケガ人を連れてきたのよ」

驚いたことに、インティサルさんは砲撃のあとすぐに運転手を呼んでクルマを出し、砲撃でケガをした人たちを手術ができる市内の病院に搬送していたのです。電話は、病院の待合室からなのです。

「...砲撃を受けた家は、子どもが2人、即死でした」
「...」
「大人もひとり、亡くなっています。あとは、足に大ケガをした人が何人も...」

聞こえていたのは雑音ではなく、家族の嗚咽でした。

投票期間は1日延長され、4月16日に終わりました。投票率は当初30%台と報道されていましたが、政府は42%と公式発表しました。

「選挙の信頼性を確保するためには十分な数字だ」

新聞やテレビでは、政権与党が自信たっぷりに選挙の成功を強調しています。一方で野党や反政府武装勢力も声明を出しました。こちらはこちらで、ボイコット・キャンペーンの成功を宣言し、気勢を上げています。

カドグリの町は、少し落ち着いたようです。マルガニさんに電話がつながりました。

「マルガニさん、あの時の砲撃で...」
私が続けるよりも先に、
「亡くなった子ども2人と大人1人、みな同じ家族だったんだってな」
被災した家族のことは、すぐに町中に伝わったようです。

「いったい何のための選挙だったんだ、いったい...」
マルガニさんは、同じことを繰り返し口にしました。そして、

「選挙は終わった。でも、子どもたちの命は、戻ってくるのかい?」

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