2020年度東北アジア大学生平和交流プログラム 第1回勉強会キックオフレポ
2020年度KOREAこどもキャンペーンインターンの玉村です。初めてのブログ執筆ですが、少しでも多くの人の心に届くように思いを込めて書かせて頂きました。
今日は、「東北アジア大学生平和交流プログラム」第1回勉強会の報告をさせて頂きます。
2001年より、絵とメッセージの交換で東北アジアの子どもたちを繋いてきた「南北コリアと日本のともだち展」。
その発展版として2012年から行なっている「日朝大学生交流」では平壌で日本語を学ぶ朝鮮の学生と日本の学生が交流してきました。日朝の学生たちが行動をともにしながら、まずはお互いを知り、また、ワークショップでは、同じテーマで意見交換し、お互いの考えを活発に語り合うようになりました。
この大学生交流は、2018年度より「東北アジア大学生平和交流プログラム」として再スタートを切りました。このプログラムは、「日朝」を主軸とした大学生交流に、日韓も含め、大学生が重層的に交流しながら、平和な東北アジアを担う若者リーダーを育成する交流・勉強会を年間で実施しています。
例年は、プログラムに参加している学生が「日朝大学生交流」を自主的に企画し、毎年8月に朝鮮への訪問団に参加していましたが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、平壌訪問を断念せざるをえません。
そんななか、6月1日に勉強会をオンラインで実施することで国内活動をスタートしました。オンラインということもあり、初回は、沖縄から参加してくれた学生もいました。
(2019年「日朝大学生交流」の最終日でお互いに寄せ書きを贈りあった学生たち。今年は、今年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、直接会うことが難しい状況です。)
勉強会では、あらかじめ指定された題材であるヤン・ヨンヒ監督のドキュメンタリー映画『ディアピョンヤン』を各自で事前に鑑賞し、オンラインで実施された勉強会当日には、在日コリアン3世のゆりさんをゲストスピーカーにお招きしました。
関西学院大学非常勤講師の李明哲さんに在日コリアンの国籍問題についても解説して頂き、ゆりさんのライフヒストリーを聞いた大学生からは多くの質問が出ました。
在日2世のヤン・ヨンヒ監督が、10年にわたり自身の家族を撮り続けたドキュメンタリーです。参加したある大学生の感想に、「ヤン監督の人間味に溢れたご両親や、監督ご自身のアイデンティティをめぐる率直な葛藤が印象的だった。あのいかにも大阪のおっちゃんらしいお茶目なお父さん、拍子抜けしそうなくらい沢山のダンボールに物資を詰め込み、離れて暮らす親族を思うお母さん、自分自身のアイデンティティと向き合い葛藤する監督自身の娘としての姿は、誰もが共感できる、ある意味ごく普通の家族を見ているような気がした。他方で、帰還事業や社会主義運動など、当時の出来事や時代情勢の中で、あるいはもう根底から、ご両親やお兄さんたちの人生が織り込まれていったことにショックを受けた。」というものがありました。私は、家族のリアリティと政治の複雑な絡み合いをこの作品から感じ取り、日朝の関係を家族という視点からひもとくことに知的な「面白さ」を発見しました。
ゲストスピーカーのゆりさんは、在日3世で、親戚が帰国事業で平壌に渡っています。ご自身は日本の公立学校を卒業して海外へ進学され、現在は日本で暮らしています。日本人・在日コリアンの間でのアイデンティティを巡る葛藤や、平壌で生活する親戚が抱える帰国者への差別の話は参加学生に衝撃を与え、多くの質問や感想が出ました。そのやりとりの中で、ゆりさんは「参加されている学生の何人かが訪朝したりとか、学生交流とかしたりとかしてると思うんですけれども、そういった取り組みってもっと小さな頃から、世界にはいろんな人がいて、いろんな人種の人がいて、いろんな宗教があって、でも、同じようなことで悩んだり、失敗したり、同じ人間なんだなって思う機会を国単位というよりも人単位で進めていける世界になればいいなと思っています。」と発言していたことがとても印象的でした。
学生の質問では「北朝鮮の人」という表現が含まれる場面があり、それを聞いて私は、「帰国者の人」や「生まれも育ちも平壌の人」のような細かな差異について注意深く考えないといけないのではないかと思いました。日本人といっても外見も内面も多種多様であるように、差異を無視して質問してしまうことは、ある種の偏見を質問相手に感じさせてしまうことにもつながるのではないかと思います。思いやりのある交流をするために今回ゆりさんからお話をお聞きしたことはとても有意義でした。ゆりさんのお話を聞いてから、学生として、朝鮮半島の学生たちとどのような言葉遣いで話し、どのような会話をすることが、平和構築に貢献することができるのだろうかと考えさせられました。ゆりさんは、学生からの忌憚のない質問にも丁寧に答えて下さり、当事者の心情や実態を知り、考える機会を得ることができました。この場を借りて、改めて感謝申し上げます。
関西学院大学非常勤講師の李明哲さんからは、在日コリアンの日本における法的地位の歴史について講義をして頂きました。
1910年、朝鮮半島は日本の統治下に置かれ、すべての朝鮮人は「日本人」とされ、名前さえも奪われたにも関わらず、植民地時代に朝鮮半島から日本に渡ってきた来た人々は、1947年の「外国人登録令」によって、突然「当分の間、外国人とみなす」とされました。国籍欄には、日本国籍を持ちながらも朝鮮半島出身ということから、地域の総称「朝鮮」が記載されました。つまり、「朝鮮籍」はあくまでも便宜上のものにすぎないのです。
1952年のサンフランシスコ講和条約では、朝鮮半島出身者は「国籍選択」の機会もなく、一方的に日本国籍を「喪失」しました。そして、「外国人登録法」により、指紋の押捺や外国人登録証明書の携帯義務を課せられたのです。
1965年には日韓条約が締結されましたが、そこで、日本に居住する「韓国籍」を持つ人に対して永住資格(協定永住)が与えられましたが、朝鮮籍を持つ人への永住については触れられず、在日コリアンの社会に「南北の分断」が持ち込まれました。
1991年に入管特例法による「特別永住」資格が認められ、「朝鮮籍」の人々も対象に含まれるようになりました。2012年には入管特例法が改正されましたが、依然として「証明書」の携帯が必要とされる等の制約は残っています。
このような歴史を知ることで、ゆりさんのライフストーリーにどのような政治的影響があったのかを繙くきっかけに繋がり、今回の勉強会がさらに有意義なものになりました。
(講師の李明哲さんが、在日コリアンの国籍問題について詳しく解説してくださいました。)
今回の勉強会では、実際に平壌に親戚がいる方にお話を聞いて質問できるという貴重な経験をすることができました。第1回勉強会だということもあり、学生からは率直な私見や質問がたくさん出てきたので、相手の方を思いやる質問をできるよう配慮することや歴史的背景を踏まえて考える練習が今後の課題だと実感しました。
政治的制約を超えて人々が繋がり、お互いを思いやるためには、相手の立場に立つ「想像力を持つ」重要性に気づかされました。「想像力」を持つことは、国際協力の場面だけでなく、家族との会話のような普段の生活から練習することができます。皆さんも「想像力」を持って行動してみませんか?
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