職業訓練を経て、うまれた変化とは?第1回(全3回)
去る2月、2021年に始まったJVCの職業訓練支援のプロジェクトが終了しました。
講義と実地訓練の両方を経て、過程を修了したほぼ全ての生徒が街の工場などに就職することが出来ました。今後は関係機関、コミュニティリーダー、ユースリーダーなどにフォローアップをしてもらいながら、それぞれ大人として仕事をして行きます。
全過程を終えた訓練生たちがどのように感じているのか、彼らの感想を聞いてみましょう。今回は全3回ある中の第1話目、溶接の訓練生・講師です。
数年前に反政府地域からカドグリへ引っ越してきました。カドグリに越してくる前は辛いことが多かったので、出来れば過去のことは話したくありません。
私は地域のユースリーダーの告知を通じてJVCの職業訓練プログラムについて知りました。以前はぶらぶらと定職にも就かず道端でサッカーなどをして遊んでばかりいたので、このプログラムに入ることに迷いはありませんでした。訓練中、理解できない理論などもありましたが、先生に沢山の質問をすることによって克服して行きました。
コースの終了後、ハサン・ジョマ先生の工場でアシスタントとして実地訓練までさせてもらうことができ、お陰様でカドグリの水道公社に正規職員として入社することが出来ました。これで生計を立てて生きていくことが出来るので、やっと自分の未来へのスタートラインに立てた気がします。
私は7人家族で、父の収入では学費を賄いきれなかったので、小学4年程度までしか学校には行っていません。JVCの職業訓練プログラムに入る直前は街中でぶらぶらと遊んでいましたが、それよりも前のことはハッキリとした記憶もありません。
ある日、街のティロ地区でJVCが訓練生の入学登録をしていました。私はその場に居合わせなかったですが、友人に凄いチャンスだと言われ、後日慌てて申し込みに行き、無事入れてもらうことが出来ました。
実際に溶接の職業訓練を受講してみて、自分の才能が開花したと感じています。知識を身に着けることは勿論、技術もどんどん上達していき、多くのものを作れるようになりました。工場で働いていて一番嬉しかったのは、人脈が広がったことです。仕事を通じて、いろんな地域の沢山の人々と巡り合うことができ、とても刺激を受けています。
そんなところにハサン・ジュマ先生から水道公社の正規職員として働かないかと推薦を頂きました。大きなステップに戸惑いもありましたが、有難く受けさせて頂くことにしました。まず収入の面で、今までは家に日額300-400SDGしか入れられてませんでしたが、大幅に増える見込みです。
しかし一番の決め手になったのは自分の好きな職業でより技術を伸ばせると感じたことです。小さな工場では作れるものも限られていますが、大規模な会社で仕事をすれば、より高度な技術を身に着けられるので、とても楽しみにしています。ここまでありがとうございます。
私はカドグリの南方ダバカヤという場所から来ました。幼少の頃は父が鉄道関連の仕事をしていたため、ポート・スーダンに住んでいたこともありましたが、そのあとは家族でヌバ山地に帰りました。ヌバ山地のような南コルドファンの奥地では就学・就業率が低く、私は小学3年までしか修了していません。ダバカヤでは仕事も無いので、2019年にカドグリにやってきました。
ある日広場でサッカーをしていたところ、コミュニティのリーダーが来て、職業訓練の話があることをみんなに紹介してくれました。皆、遊んでばかりはいられないし、収入を得るためには技術が必要だということはわかっていたので、迷わず飛び込みました。今はハサン・ジュマ先生の工場でアシスタントとして横に付かせてもらってます。
仕事を通じて、色々な喜びを知れました。自分の中に知識や技術が蓄積していく喜び、沢山の人と知り合える喜び、「人に教える」ということの喜び、などです。いつかは自分も家族がいるこのカドグリに工場を持ちたいと考えています。
人に教えるときはまず理論。その次に理論の復習も踏まえながら、実践。いきなり上手くいくわけは無いので、生徒の失敗は暖かく見守って実践の繰り返し。指導とはこういうものだとハサン・ジュマ先生から教わりました。今後も先生を支えて行きたいです。
私は南コルドファン州トロジの出身で、今は家族とともにカドグリのタファリ地区に住んでいます。去年までは学校に行っていましたが、私の家は8人家族と家計が苦しいので、今まで一人で働いていた父を支えるため、学校を辞めて働くことにしました。今は日当500SDGのうち200SDGを交通費に、300SDGを家に入れています。
学校を辞めたあと仕事を探していたところ、親戚がJVCの職業訓練プログラムを紹介してくれ「このチャンスを逃すな」と言われました。今はハサン・ジュマ先生の工場で実地訓練中ですが、このプログラムに入ってから生活が良くなったと思います。
仕事にありつけない間はあてもなく一日中遊んでいるだけでしたが、 今は仕事を一生懸命こなし、帰宅後はシャワーを浴びてからリラックスするというワークライフバランスが出来ました。サッカーが好きなので、夜はサッカーを見ています。
今回の職業訓練において、
協力してくれたザカート(喜捨)局のマダム・サフィアさんと、溶接の講師であるハサン・ジュマさんにもお話をうかがいました。マダム・サフィアさんは職業訓練場の提供、講師陣の選定・調整、訓練生の監督など幅広く活動を支えてくれました。
JVCの職業訓練を通じて、生徒たちに様々な変化が見られました。礼儀が良くなったり、気を配れるようになったり、髪形など身なりも正すようになりました。
職業訓練の意義はただ生徒たちが手に職をつけて、生計が向上するというだけでなく、することが何もない若者に取り組むべきことができ、 「ぼーっと時間を過ごさない」という点にあります。
カドグリでも麻薬が流行し健康被害が出ることもありましたが、JVCの職業訓練のおかげで、それを経験せずに済んだ若者、そして更生できた若者がいます。更にJVCの支援で助かっているのは、プログラムの修了後に証書を発行してくれる点です。この証書と確かな技術があるからこそ、雇用する側も信頼が持てるのです。
なぜ、水道公社から求人の案内がきたときに、ムルタダ君とハーリド君を推薦しようと思ったのですか?
沢山いる訓練生の中でも、彼らは忍耐力に優れていたからです。
日によっては日当が少ないこともありましたが、この二人は文句も言わず黙々と訓練に励んでいました。努力の甲斐あり、(溶接の)技術的にはドア・窓・椅子・机など数多くのものを作れるようになったので、自信をもって推薦することが出来ました。
数ある工場の中には、訓練生の退職率が高い場所もありますが、ハサン・ジュマ先生の工場はとても評判が良いです。ムルタダ君やハーリド君のように、次のステップへ進める訓練生も沢山出ています。何が違いだと思われますか?
私は1980年、高校の入学試験で不合格となり進学することが出来ませんでした。そこから彼ら訓練生と同じように工場に入った訳ですが、こちらもなかなか上手くは行かず沢山の失敗を重ねました。
しかし、そのたびに親方に支えてもらい前に進むことが出来たので、自分も年を取ったら同じように次の世代を育てることが自身に課せられた使命だと考えるようになりました。ですので、ただ単に自分の工場で「働かせてやっている」と考える親方と私のような指導者を志す者では訓練生の満足度に違いが出るのだと思います。
(集合写真-先生、訓練生、JVCスタッフ)
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