スーダン、戦闘勃発から 1 か月 。南部カドグリでは何が起きたのか。
戦争勃発の翌日からは、皆の話題はこの戦争でもちきりでした。
JVC事務所の清掃員は従兄弟2人がハルツームで戦死し、補習校の教員1人も親戚が亡くなったといって教員の定例会議を欠席。JVC職員の隣人もハルツーム空港で亡くなり、代金を受け取りに来た音響の業者も息子が北コルドファン州オベイドで腹を撃たれたと言います。
また、事務所から宿舎までの道すがら大きな木の下に人々が集まっていました。運転手によると、これはハルツームで亡くなった人の葬式で親戚が弔問に来ているといいます。彼らはいずれも兵士でした。国軍、即応支援部隊(RSF)どちらもいます。
【ハルツームで亡くなった国軍の兵士の葬式が実家のあるカドグリで行われた】
中央政府から辺境地域として扱われ開発や投資が進まず、農業、牧畜、金の採掘以外に大きな産業のない南コルドファン州では、兵士になる選択が珍しくありません。
新兵のリクルートは頻繁に行われ、半年前には数百人の新兵のオリエンテーションを空き地で実施している風景もありました。家族の人数が多く、家計を支えるために兵士になる若者が後を絶ちません。JVCの補習校に参加したことのある教員でさえ、RSFの兵士となりカドグリを離れたのを聞いたばかりでした。
人的な被害だけでなく、日々の暮らしにも大きな影響を与えています。
大きな工場がないカドグリでは農産物を除き、基本的にハルツームからの物資に依存しています。戦闘によりハルツームとカドグリを結ぶ道が閉鎖され、物流がストップしてしまいました。牛乳やヨーグルトといった製品が市場で姿を消し、物価が高騰、日々の食事に欠かせない、砂糖、油、玉ねぎは価格が2倍にまで跳ね上がりました。
忘れてはいけないのは、銀行がまともに稼働せず、現金が枯渇していく中での状況なのです。小麦も不足しパン屋は人々で混雑し、ガソリンスタンドも何百メートルもの長蛇の列ができました。さらに車は8L、リキシャやトゥクトゥクは4Lまでといった制限もあり、入手するのに何日も待たないといけなくなりました。
このような状況にカドグリの市井の人々は何を思うのでしょうか。
「スーダンはアフリカで一番美しい国です。特にカドグリは自然が豊かです。さらに人々の心も美しく、知らない人でもご飯を招待したり家に泊めてあげたりするのです。しかし政治家は最悪で戦争ばかりしています。特にカドグリは貧困率や失業率がとても高く、兵士になる人が多いのが現状です。血は見たくありません、戦争は全てを破壊するのです」
これは市場で工務店を営むムバーラクさんの言葉です。
高校には進学せず、JVCの職業訓練に参加したムサさん(19歳)。メカニック(リキシャ・トゥクトゥク修理)の訓練を修了したあとも配属された工房で勤務を続けています。
「ここで得た収入で家計の手伝いだけでなく、弟や妹の学費を支払っています。多くの友達は兵士になっちゃったけれど、私は戦争には参加しません。(私の選択は)メカニックだけです!仕事を続けてスペシャリストになり、将来的には自分の工房を開きたいです。しかし、戦闘勃発後はカドグリに燃料が届かず、稼働しているリキシャやトゥクトゥクの数が大幅に減って、仕事がほとんどありません。我慢するしかないですね」
ムサさんは手に職を身に付け、家族を支えることができるようになった満足感を抱くものの、戦争はこのように間接的な負の影響を及ぼします。物資不足が経済活動を鈍化させ、人々の生活を追い込んでいきます。
一方、南コルドファン州出身者は紛争の影響もあり、首都に移住・避難する人々が多数います。彼らはハルツームで再度戦争を経験することになりました。子どもが7人いるハールーンさんのメッセージです。
「私の地区では電気や水はありましたが、食糧がなく、1日1食の生活をしています。ラマダーン明けイードは新しい服を買ったりしますが、今年はそれができなかったです。この戦争の『勝者』は『敗者』でもあります(=この戦争に勝者はいない)。国軍もRSFもスーダンの子ども。同じ家族で両方を輩出しているケースもあります(実際には民族による偏りがあり、RSFにはチャドやニジェールなどからの傭兵も多数含まれると報告されている)。
兄弟を殺して戦争に勝って、何になるのでしょうか?損失しかもたらしません。実はハルツームが戦場になるのはマフディー戦争以来、100年以上経験していません。あのときはイギリス統治に反対するという明確な理由がありました。しかし今は何の目的もなく戦っています。誰も戦争を望んでいません。
軍の上層部が戦争を始めたので、自分たち一般市民には止めることができません。とにかく今は戦争を止めることが第一。国際社会、国連などが仲介して止めてほしいです、自分たちにできることは何でもしますので。そして何と言っても一番の被害者は子どもたち。イード明けは学年末試験が予定されていましたが、今の状態では試験どころではなくなってしまい、先の見通しも立ちません。教育を受けられなかったら、彼らはどうなっていくのか。。。」
限られた通信のチャージが切れるまで、数十分に渡って語ってくれました。
「カドグリにいるなら、ハルツームに帰ってくるときに忘れずにソルガムを持ってきてね」とこういうときでも冗談を言って場を和まそうとしてくれるハールーンさん。しかし彼の思いは切実です。「私たちは本当に苦しんでいる」というメッセージがつい先ほども届きました。
戦闘勃発以降、スーダンの友人から数えきれない沢山の電話とメッセージをいただきました。
「危険だから外に出ないように」「今ハルツームに帰ってきたらだめだよ」「今どこにいるの?心配しているんだけど」「日本人退避のニュースを見た子どもたちが『航はもう一生スーダンに帰ってこないんでしょ?』と聞いているよ」「早くスーダンを出た方がいい、安全になったら戻ってきて」「日本に行ってしまったら、Zain(スーダンの通信会社)のネットワークないでしょ、航とどうやって連絡取ればいいの?」と自分たちの状況が深刻な中でも連絡してきてくれる人々。
2年前に旅行で訪問したポートスーダンで1回だけ乗ったタクシーの運転手さんからも電話が掛かってきて、「ハルツームにいると思ったから心配だった」と言われたときは涙が出そうになるぐらい嬉しかったです。
【かつて訪問したポートスーダンの港付近にて】
ハルツームが戦場と化し、激しい軍事衝突や空爆が続き、銀行、工場、国際機関・NGOの事務所、一般住宅までも略奪の被害が相次ぎ、在留外国人だけでなく、100万人近いスーダン人が近隣諸国や地方に退避しています。
車やバスに乗って移動する人々に対して、村人たちが水、ジュース、パン、果物、お菓子などを無料で配る姿が各地で見られました。さらに自宅に招待して泊まらせてあげたり、空いた部屋を開放するといった投稿がSNSで頻繁に見られるようになりました。
ただ移動手段のバス運賃が高騰し、普段の10倍となっている区間もあります。お金のある人しか移動できないということ、高齢者や病人がいるために退避できない人がいること、シリア人やエリトリア人といった故郷から逃れて住む何万人もの人々は逃げる場所もないということは忘れずに言及したいと思います。
スーダンの今後について予測するのは大変困難ですが、JVCは情勢を十分に配慮しながらも、平穏が続くカドグリでは職員たちが勤務を継続しています。通信状況が万全でなく、銀行も機能しておらず給与を支払えない状態が続いていましたが、戦闘勃発からちょうど1か月経った日に、やっと銀行で資金を引き出すことができました。
チームリーダーのイスマイルは「戦争は全てを破壊し、発展への道が閉ざされてしまう。今は自分たちに出来ることを継続してやりたい!」と情勢への懸念を示しつつも、諦めてはいません。
日本人の退避が一段落し、メディアでは扱われることが少なくなってきましたが、これを読んでくださった皆さんは引き続き、スーダンの情勢に注目しつつ、現地で奔走する人々、紛争に翻弄される人々を応援していただけると幸いです。
【イード前に撮った集合写真、カドグリ事務所にて。チームリーダーのイスマイル(右から2番目)】
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