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戦争でよりいっそう追い詰められる市民、難民、そして子どもたち(JVC会報誌 No.354より)

本記事は、2023年10月20日に発行されたJVC会報誌「Trial & Error」No.354に掲載された記事です。会報誌はPDFでも公開されています。こちらより、ぜひご覧ください。

内戦でインフラを破棄され、すみかを壊され、すみかを追われ、480万人もが退避を強いられている

スーダンは、30年続いた独裁政権崩壊後、2019年に発足した暫定政権は民政移管を目指すも、2021年10月、国軍司令官は首相や閣僚を拘束し、治安部隊は抗議活動を展開する市民への弾圧を断行しました。国際社会の努力や交渉を経て、今年4月に「文民政府樹立のための合意書」の道筋が示されるも、国軍 (SAF)と準軍事組織「即応支援部隊」(Rapid SupportForces : RSF)とが「軍の統合」協議で行き詰まり、同15日に両軍が衝突。今、戦火は首都ハルツーム、ダルフール地方、コルドファン地方などに広がり、民族浄化という名の虐殺、拷問や略奪が横行し、インフラも破壊され、480万人もが国内外に退避しています。

そこでは、本国に帰ろうにも帰れない周辺国出身の難民がさらなる窮状を強いられ、また、戦争孤児になったり、十分な食料や教育から遠ざかる子どもも増える一方です。この絶望的な状況のなかでも、子どものために活動を始めるスーダン市民がいます。JVCも活動を模索しているところです。スーダンからの自衛隊による邦人退避についての評価も合わせ、現場からの報告を届けます。

戦争でよりいっそう追い詰められる市民、難民、そして子どもたち

子どもたちに 遊びと学びを

アブドゥルアズィーズさん(24歳)は中国に留学し医学を勉強していましたが、新型コロナウイルスの影響でスーダンに帰国することを余儀なくされ、それ以降はオンラインで勉強を続けるとともにゲームセンターのようなものの経営をハルツームで始めました。このゲームセンターはビリヤード、卓球、プレイステーションなどの設備が完備され、スポーツやゲームを楽しめます。

4月に戦闘が勃発して以降、空爆や砲撃、兵士や市民による略奪が続き、ずっと自宅待機をせざるを得ませんでした。

親戚や近所の子どもたちが何もすることなく退屈しているのを見かねて、リスクを冒し自身のゲームセンターに行って、 持ち運びできるポータブルゲーム機を 取ってくることにしました。ゲームセンターまでは無事にたどり着くことができましたが、自宅に向かっている途中に、国軍兵士に見つかってしまいました。荷物を調べられ、ポータブルゲーム機を見て、「これは何だ!」と詰問されることに。兵士はスーダンの地方の電気もないような地域からリクルートされることが多く、末端の兵士にとって最新のゲーム機は見慣れません。「RSFのドローン戦闘機のリモコンなのでは?」「RSF兵士かスパイでは?」と疑われたようです。

銃口を頭に向けられ、必死に説明をして何とか理解してもらいました。しかしその後、兵士から「前を歩いていけ。交点で左右を見て、何もなければ頭を下にうなずけ!」と命令されました。国軍とRSFが交戦を続ける中、「人間の盾」として利用されたのです。

何とか無事に自宅に帰ることはできたものの、悪化する状況を見かねて、紅海沿岸都市の港町ポートスーダンに退避しました。ポートスーダンでは、人道支援団体が支援物資を配布しているはずですが、一度も受け取ったことはないと言います。

スーダン周辺地図

一方で、「支援用に倉庫に保管された食料を軍が大きなトラックで運んでいくのを見ました。それを街の商店で売りさばいています。地域の人は皆その事実を知っているけど、怖くて誰も言うことは できません」と現状を嘆きます。

そんな大変な中でも、学校もなく退屈している子どもたちのため、空き地の日陰を利用して英語を教えることにしました。約半数は彼同様にハルツームから退避してきた子どもたちです。子どもたちは冗談を言いながらも、毎朝空き地にきて、若い先生の授業を心待ちにしています。「なぜ英語を勉強しているのか?」 と尋ねると「前に進みたいから」とJVCの活動地で補習校に参加した親子が言っていたことと同じ言葉が聞かれました。この簡易な英語教室は、単に英語を学ぶ場だけでなく、子どもたちの交流の場、保護される空間にもなっています。過酷な経験をし、今もなお厳しい生活を強いられる中でも、子どもたちのために立ち上がる青年の姿にこちらが励まされました。

避難したポートスーダンでアブドゥルアズィーズさんが開いた野外英語教室。教室は子どもたちの大切な居場所の一つになった。挙手する子どもをアブドゥルアズィーズさんが指名している。

追い詰められる難民

戦闘に巻き込まれたのは、スーダン人だけではありません。スーダンの周辺国は政情が不安定な国が多く、何百万もの移民・難民を受け入れています。特にシリア人、イエメン人、エチオピア人、エリトリア人、南スーダン人はハルツームでもたくさん見かけます。イエメン出身のファーティマさん(仮名、20代)は父を病気で亡くした後、母と弟妹たち6人で生活していました。しかし一家の長男がアンサール・アッラー (フーシー派)の入隊を拒んだ後に何者かに誘拐され、無残にも、無数の拷問の跡がある死体で帰ってきました。

程なくして三男のカマールさん(仮名17歳)が歩いているときに、彼に向かって故意に車がぶつかってきたと言います。何とか一命を取り留めましたが、このままでは命が危ないと、1年に逃げるようにスーダンに退避してきました。

退避後に母親は治療のために親戚を頼ってトルコに行き、その後は長女のファーティマさんがビューティーサロンで働き、下の弟妹たちを支えていました。そんな最中、ハルツームの戦闘でポートスーダンに避難することになります。

ほとんどのイエメン人はイエメン政府の支援で何とか故郷に帰還しましたが、ファーティマさん一家はイエメンには戻れません。フーシー派に危害を加えられるのではという不安や、他の都市に行っても、部族主義がはびこるイエメンでは家族の名前から「北の人間」ということが明らかであり、差別されてしまう可能性が高いと言います。

一方、ポートスーダンでの生活も過酷です。最初は避難民キャンプのようなところに滞在してましたが、小学生の末っ子は酷暑と劣悪な環境に耐えることができません。またニカブ(目だけ露出したスカーフ)を被って生活する女性にとってプライベート空間を確保することが難しいのです。

勢いよく取り出したパスポートと父親の死亡証明書
 
 

なんとか格安のアパートを見つけても、5階建ての建物の屋上に取り付けられた簡易な部屋にはクーラーもありません。収入がない中で、家賃の支払い日が迫っており、「追い出されてしまう」という不安感と戦時下での物価高騰に苦しんでいます。他のイエメン人一家では、 暑さから皮膚病に苛まれる子どもが続出しました。しかし費用を捻出できないために治療を受けさせることができず、ただ見ていることしかできません。

長男の拷問だらけの死体の写真、ハルツームで取得した難民登録証、父親の死亡証明書などのハルツームから持ってきた書類や、三男カマールさんの今なお太腿に残る深い傷跡を必死に見せる様相は「とにかくスーダンから出て、第三国で新しい生活を送りたい」という心からの願望が伝わってきます。中東の大手メディアにも訴えインタビューに応えましたが、どこからの支援も得られていない状況だと言います。

カマールさんがベランダから外の様子を見ています。夕方になり近所の子どもたちが道路でサッカーをして遊んでいました。「彼らと一緒にサッカーしないの?」と聞くと、「仲良くなってまた友達と別れるのは辛いから・・・」と呟いてい ました。イエメンのサナア、そしてスーダンのハルツーム。2度の退避で、友達との急な別れを強いられた17歳の少年は、誰にも言えない寂しさや孤独感を味わってきたのでしょう。

UNICEFの報告によると、8月時点で戦闘により少なくとも435人の子どもが死亡、2000人以上の子どもが負傷したと言われていますが、残念ながら実際はもっと多いと見込まれます。これらに加え、親を失った子ども、空爆や砲撃に怯えながら過ごす子ども、食料を十分に食べられない子ども、学ぶ機会を奪われた子ども、国民の半分を占める子どもたちが、今まさに苦しんでいま す。私の大切なスーダン人の友人は亡くなる前に、「この紛争の一番の被害者は子どもたちだよ。まともに教育を受けられなかったら、彼らは今後どうなっていくのか」と静かに憤っていました。

執筆者:今中航

スーダン事業 ハルツーム事務所現地代表/イエメン事業担当

京都府出身。大学でアラビア語を専攻し、在学中にイエメンに留学。語学以外に現地の宗教、文化、慣習等を学ぶ一方で、革命や紛争の影響等でライフラインが崩壊した生活、教育を受けられない子どもたちや仕事を失う大人たちを目の当たりにする。
卒業後は途上国・新興国のインフラ支援に携わりたいとの思いで、メーカーにて発電プラント事業を担当。もっと現地の人々に寄り添いながら、可能性が広がることに尽力したいという思いが大きくなり、2018JVCに入職。好きな食べ物は(料理しないけど)かぼちゃを使った料理。

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