REPORT

【スーダン】度重なる退避を越えて私がやるべきこと 前編

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スーダン事務所現地職員 モナ・ハッサンによる報告。JVC会報誌Trial & Error358号に掲載された記事を、一部編集してお伝えします。(著者:写真左)

戦闘勃発から退避生活へ

戦闘が勃発したのは20234月。ラマダーン明け休暇の直前だったこともあり、自宅のあるハルツームではなく、夫が単身赴任している北ダルフール州の州都オベイドに滞在していました。

オベイド中心部でも国軍と即応支援部隊(RSF)の戦闘が激しく、家の近くで空爆や砲撃が続き、ベッドの下に隠れることもありました。そこで中心部から60kmほど離れた、親戚が住む村に一時的に避難しました。

10日経って、またオベイド中心地に戻りましたが、再度情勢が悪化したため、夫の親戚がいる別の村へと避難しました。2週間ほど様子を伺い、再度オベイド中心部に戻りました。

村には通信手段がなかったため、久しぶりに親戚・友人・同僚と連絡を取ることができました。そこで仕事をリモートで再開し、銀行に行ってカドグリ事務所へ送金することもできました。

オベイド中心部は国軍が支配していましたが、周りはRSFに囲まれていたため、次第に基本的な物資が入って来なくなりました。情勢も悪化してきたため、去年の107日には白ナイル州のコスティに避難しました。

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オベイドから近隣の村への避難するモナ

コスティまでは大型バスで移動しましたが、危険に満ち溢れていました。検問が14カ所もあったのです。

ある検問で、RSFの兵士がバスに乗り込んできて、1人ずつIDカードを確認してきました。夫のIDカードの職業欄に「機械技師」と記載されているため、兵士は夫にバスから降りるよう命じました。彼らの車両の修理をしないと解放しないと言うのです

1時間、気が気でない時間が続きましたが、なんとか修理することができ、バスに戻されました。

別の検問では、またRSFの兵士が乗り込んできて、私のすぐ前に座っていた女性に銃口を向け金品を要求しました。なんとか事なきを得てバスは再び出発することができましたが、こうした紆余曲折があり、通常3時間で行ける道程が10時間もかかりました。

モナの避難ルート:ハルツーム(自宅)→オべイド→別の村→オべイド→コスティ→南スーダン(ジュバ)→ポートスーダン

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紛争以来のモナの移動先

コスティでは砲撃や爆撃の音は聞こえず、通信環境は安定し、電気や水へのアクセスもあり、役所も開庁していました。

コスティでもしばらくリモートで業務にあたっていましたが、RSFの勢力範囲が拡大すると、コスティも包囲される可能性が高まり、状況は一気に悪化することが予測されました。

国境を越えた避難

20248月の時点で、唯一残っていた選択肢は、隣国の南スーダンに向けて避難することでした。

国境を陸路で越えた後、南スーダン北部のレンクという都市から首都のジュバまでのルートは、信頼に足る交通手段や踏むべき手続きが不明確で、かつ政府職員の腐敗が蔓延しているため、とても不安でした。

しかし幸運なことに、レンクに到着したその日、ジュバまでの小型飛行機に空席があり、搭乗することができました。ジュバの地を踏むのは初めてのことです。天候もよく、人々からも歓迎され、1つの国」のように感じました

ジュバでは1週間過ごしましたが、環境の変化に順応し、辛い記憶を消し去り、耐えてきた困難の後のささやかな平穏を見つけようと努めました。 

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南スーダンへの国境越えではロバの荷台にも乗った

最終目的地は、スーダン紅海沿岸都市のポートスーダン。

ジュバから直行便のフライトがあります。戦闘後、首都機能の一部がポートスーダンに移されたこともあり、JVCを始めほとんどの人道支援団体がここに拠点を置いており、14カ月ぶりに今中と再会することができました。

そんな中、元JVCの職員だった私の友人の妹が、砲撃に巻き込まれ負傷したという知らせを聞いたのです...

後編につづく

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ポートスーダンで今中と再会し、事務所探しに奔走

執筆者

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モナ・ハッサン

ハルツーム出身。大学でイスラム法を学んだ後、弁護士資格を取得。複数の支援団体で勤務する傍ら大学院で博士課程を修了し、2011年からJVCに参加。紛争の影響を受けた人々が自分たちの権利を認識して獲得できるように、さらに行政や関係機関が各自の役割を果たして活性化することに貢献したい。週末は家庭菜園や親戚と協働しているNGOで活動。2016年、2017年にJVCの業務で来日経験あり。好きな日本食は広島で食べた広島焼き。

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