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アフガニスタン

チャレンジ!ピース・アクションin『トラボラ』(後半)

前半はこちら

ついにパチェラガム郡のトラボラ地域に到着したクズ・クナール住民とJVCスタッフ。ここで平和をテーマにした住民間交流が始まります。まずはこの地域出身で、JVCとの窓口になってくれていたマヒルさんの家で事前打ち合わせを行うことになりました。マヒルさんは、スピン・ガール青年協会のリーダーでもあり、これまでのピース・アクションの参加者として、クズ・クナールに来たこともありました。


トラボラの位置)


マヒルさんのうちに、お邪魔します)

マヒルさんのうちでは、集まった仲間達がこの地域の治安について話してくれました。ここトラボラはISやタリバンなどあらゆる武装勢力にとっての要所となってきましたが、ソ連侵攻時代(1979~1989頃)には、ソ連に対抗したムジャヒディン(イスラム聖戦士)の拠点でもありました。険しい山岳地帯と洞窟が、戦略的な地形だからです。

「村にムジャヒディンがやって来た当時、私達の国の侵略者・ソ連を倒す戦士として歓迎した。しかしその後、住民はお金や作物、家畜などを徴収されることになった。それに、殺されることも・・・。そんな蛮行は明らかににイスラムの伝統に反するもので、彼らはイスラム聖戦士を名乗りながら、本当のイスラムの規範や法について知らない。アラーの神が慈悲について説いたことも。人々はこうした状況にうんざりしていたけれど、解決策は見つからなかった。」

ムジャヒディン時代を語る住民)
客人への"おもてなし"はとても重要なアフガン文化です。お茶請けステキ。)

・・・さて、話をしながらマヒルさんのお宅で用意してくれた昼食を終え、いよいよ他の村人との交流の場所に向かいました。会場についてみてびっくり、なんと100人以上の村人が集まっていたのです!他の村からの訪問者に、興味津々です。


(大勢集まっています。カーペットは何枚分の人でしょうか?)

マヒルさんが代表して開会の挨拶を述べ、クズ・クナールからの訪問者を歓迎しました。JVCと長らく地域で活動してきたクズ・クナールに実際に訪問してきた経験を話し、「ここ、トラボラの地域でも村人主導の取り組みは可能だ!」と呼びかけました。


マヒルさん)

マヒルさんにとって特に印象深かったのがクズ・クナールの学校の図書館の本の貸出カードの記録を見たことだったようです。「多くの若い生徒が、―女子生徒も!―たくさん本を読んでいる!読書文化があるところに、発展がある。クズ・クナールの人々は本を愛し、争いを嫌う。我々も、そんな平和モデルを私たちの地域に築こう!」

今度は、訪問者であるクズ・クナールを代表して、シェール・モハンマドさんが話しました。彼は学校の校長先生です。


シェール・モハンマドさんのスピーチもまた熱かった!)

「私たちはJVCと一緒に、保健や教育などの課題に取り組み、長老として、村人たちの間で、家族と家族を繋げる仲介者の役割を果たしてきました。小さな争いの解決から始めるべきです。できることはたくさんあります。家族内のいざこざ、土地の争い、灌漑や水の配分をめぐる争い・・・私たち自身の考え方が変われれば、きっとコミュニティへの変化と繋がる。」

シェール・モハンマドさんもまた、家庭や地域レベルでの争いごと解決の積み重ねが、もっと高いレベルの平和、政治上の平和さえもたらしうるのだ、と確信しています。

「『平和な家族』は、村レベル、郡レベル・・・そして、国レベルにまで貢献しうる。だからこそ私たちは、コミュニティに存在している争いに取り組むという、とてもシンプルなことから取り掛かることが大切です。」

シェール・モハンマドさんは、トラボラの人々に呼びかけました。

「かつて私たちの村も、今の(トラボラの)あなたたちの村のようでした。たった一日で、70人以上の死傷者が出ていました・・・。ソビエト侵攻の時代です。当時私たちは国を守るため、戦いました。その後に、平和な村を作るために、JVCとも協力し、あらゆる地域活動をしてきました。私達の文化には、物事の解決を図る伝統的な仕組みとして、"シューラー"(話し合い、の意味)があります。武力を使わない、対話の力を信じましょう。」

戦いを乗り越えてきた人々が同じアフガン人に訴える、説得力あるスピーチでした。平和のポエムをその場で詠み上げた参加者もおりました。この集会の最後には、郡境警察も関心を寄せた平和のブックレットを配布しました。

パチェラガム郡はつい最近まで、アフガニスタン政府の統制が及ばない危険な場所でした。治安の悪化で人々の移動にも困難が伴う中、そのような地域にJVCのスタッフとクズ・クナールの住民7人が訪問できたことは大きな成果となり、また多くの人々の参加で当初の予想を上回る盛会となりました。今後この地域でも、クズ・クナールのように住民による自主的な地域活動が始まるかもしれません。


この日の集会で挙げられた地域の課題が記されている)

しかし、ピース・アクションの広がりに期待が膨らむ中、私達はまたしても大きなハードルに直面しました。今回の交流の立役者とも言える、パチェラガムのマヒルさんが、この交流後、間もなくして何者かに暗殺されてしまいました。マヒルさんの冥福を祈るとともに、JVCとしても、彼の意志をなんとかつなぎ、死の前日にも彼から提案があったさらなるピース・アクションの活動を実現することが、一つの使命であると考えています。

マヒルさんの死

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