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日本 イエメン

スタッフインタビュー「JVCの中の人を知ろう!~伊藤解子さん編~」

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こんにちは、2023年度政策提言・広報インターンの細川です。

今回は、現在JVC事務局長を務めていらっしゃる伊藤さんにインタビューさせていただきました。

伊藤さんは東南アジアでの民間企業、日本の教育協力NGO、JICA本部やJICA専門家、開発コンサルタントなど、多岐にわたる国際協力の分野でさまざまな職務経験を積まれてきました。

国際協力を始め、継続することの強いパッションとモチベーションは、果たしてどこからくるのでしょうか。是非最後までお読みになってください!

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事務局長の伊藤さん(上)とインターン生の細川(下)

どのような経緯で国際協力に興味を持つようになったのでしょうか?

そうですね、国際協力を追求していきたいと思ったことには瞬間的なきっかけがあったわけではなく、どちらかというと経験の積み重ねによってその想いが強くなったと思います。

私は世界の構造や不平等、平和に関心のある家族で育ちました。

丸木位里・俊夫妻の『原爆の図』の図鑑おいてある家で広島の原爆について学ぶなど、インフォーマルな教育で幼少期から両親に影響を受けて育っていました。

大学に入学した時期からさらに世界に対する視野を広げ始めました。姉の影響も大きく、姉の紹介やお誘いで大学入学時は国際関係研究サークルに、大学2年生の時は韓国の大学生とのインカレ交流サークルに入りました。そこでは同世代の視点から戦争責任、慰安婦問題、南北問題の話についてディスカッションやディベートを重ねる機会がありました。この頃から平和な社会を実現するために国際的な仕事に就きたいと強く思うようになったように思います。

NGOの報告会などにも参加して活動を知りました。社会格差の是正、侵略や搾取のない社会にするために、民間企業の立場からではなく人々に寄り添うNGOのような立場から携わりたいと考えたのが、国際協力の道に進むことになったきっかけです。

英国大学院で開発学や東南アジア地域学を学ぶことに決意したきっかけは何ですか?

大学では経済学部でしたが、もっと開発問題について学びたいと思いました。当時日本の大学では未だ開発学が浸透していなかったため、そして英語力もつけるため、海外の大学院に行くことを決めました。

なるべく早く現場に行きたかったので、1年で修士を修得できるイギリスに留学することにしました。開発学のコースでは世界全地域、経済、政治、教育、文化人類学などなさまざまな分野がカバーされていたのですが、自分には広すぎました。やはり1年だけですと、広い講義の内容に深く入り込むことができず、ディスカッションを深められるだけの英語力を身につけるにしてもこの短期間内ではできず不完全燃焼になってしまいました。

そこで、研究のテーマを変えて東南アジア地域研究に絞って留学を続けました。元々、日本の戦争責任とアジアとの関係からその当時の開発問題への日本の関わりに関心を持つようなったので、地域について研究を深めたいと思いました。その当時、韓国はすでに経済的には発展してきていたこともあり、焦点を東南アジアに当てることにしました。結局3年半イギリスにいました。

大学院での経験を通して気づいたことは何かありますか?

はい、一番は東南アジアに実際に赴いていくきっかけを見つけられたことだと思います。私が学んだ大学院の開発学コースでは先にお伝えしたとおり広く開発問題に関わる状況についてカバーしていました。アジア圏のみならず、アフリカや中東、欧米などからの宗教・文化もさまざまな国のバックグラウンドをもった留学生と関わる機会も多かったです。多くの国の友人ができたこと、実際に共に生活して得たことは大きかったです。

ただ、自分は新卒から大学院留学したので現場での経験や知見がなく勉強していました。NGOに入った後で、働いてから留学していたら更に深い学びができていただろうと思いました。

その後、社会人になって東南アジアに行く運びとなったのも、留学中の友人がきっかけです。

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自然に包まれたプロジェクト地域で@ラオスサラワン県_2015年

東南アジアではどのような活動をされたのですか?

将来的にNGOで勤務するべく、まずは社会人経験を積もうと思いました。その間にも日本に帰国するより現地に身を置いて生活してみたいということで、東南アジアに直接赴いたのです。留学中も東南アジアの友人が多くおり、どこで働こうとなった時に、最初住む場所に友人のツテがあってお勧めしてくれたマレーシアに行くことにしました。インドネシア語を学んでいたことも理由です。マレー系、中華系、インド系の人々が文化の多様性のなかで共に住みながら、社会にあるヒエラルキーについても知りそんな社会にも関心を持っていました。

現地で就職活動をして、日本人が経営するマーケティング・コンサルタント会社に入りました。日系企業のマーケティング調査を請け負って分析・フィードバックをまとめたりする業務をしていました。

マレーシアでのお仕事はいかがでしたか?

実は最初のコンサルの仕事は7ヶ月間しか続かず、心身共に辛くなってしまったのもあってシンガポールに移ったのです。当時開発工事が至る所で行われていたクアラルンプール市内は、通勤の交通が不便で、バスも毎日ぎゅうぎゅうの状況で…雨季で天候が悪くなってしまえばすぐ渋滞して何時間も家に帰れなくなりますし、個人的にひったくりにもあって怪我をし、頑張っている気持ちが萎えてしまいましたね…。組織に派遣されるわけでもなく単身で身の安全が確保されていない中、若さがあってもしんどいと感じてしまうような状況だったと思います。

その時、私の状況を気にかけてくれたシンガポール人の友人が今度はシンガポールに来たら?と誘ってくれて移動しました。また就職活動をして転職先は大手の日本の銀行の支店でした。アジアの拠点なので500人従業員がいる支店で、私は企画課というところで日本の駐在員の補佐をし、駐在員のお世話や、支店の経営状況の取りまとめを行ったりしていました。

シンガポールは住居の物価は高かったですが、インフラ環境が整っていたのでクアラルンプールより生活しやすかったと思います。ここで派遣されている駐在員と現地雇用の生活の違いを垣間見たことも経験になりました。一方、アフターファイブを満喫したり、休みの日などには友達と周辺地域への旅行をしてOL生活を楽しんでいました。

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オーチャードロードでOL時代の週末@シンガポール_1997年

シンガポールで比較的安定した生活が送れていたにも関わらず、NGOに就職するという根性がぶれなかった背景が気になります。

もちろん東南アジアでのOL生活はすごく楽しかったのですが、元々の目標がNGOでの就職だったのでその想いは強く持ち続けていました。ずっといつか軌道修正しなくては、と思っていました。

ただこの時代はNGOに就職しようとする人がほとんどいない頃で、そもそもNGOって何?というレベルの社会認知度だったので非常に手探りな領域だったことは確かです。

伊藤さんはどのようにしてNGOに興味を持つようになったのですか?

私が大学生だった頃、日本の経済が好調で、日本の政府開発援助(ODA)額が右肩上がりだったんですよ。日本の企業もたくさん海外直接投資をしていて、アジアの国々も急速に経済成長を遂げていた時代です。その反面、現地の人々の労働条件の悪化や開発による強制移住、環境破壊など人々の生活を危険にさらす問題が顕著に起こってきてもいました。NGOや研究者、ジャーナリストが中心となってODAの問題を発信し始めていました。戦後には企業活動やODAを通し、日本が経済重視でアジアに進出して起こしている問題としてODAに関心を持つようになりました。学生の私は細川さんのようにODAについてよく学生間で議論したり、発言したりするといったことをしていました笑。

NGOに入ってみることで得られた新たな気付きはありますか?

農業や保健分野ほど専門性が必要とされないのではと思って、教育を扱うNGOに応募して入りました。入職当時、職員の中には社会人経験がないままに職員になった方も普通にいてびっくりしたことを覚えています。

2年目には海外駐在していたのですが、当時はまだ専門性があまりない人でもNGOの職員になっていて、自分自身、プロジェクト運営などNGO職員としての知識もなく現地に行き、現地職員からたくさん教えてもらいました。外国人という外部者の立場で現地の人々とどう関わるか、どこまで深く関わっていくのか、といった面で現地に入る方法に疑問を持ったり、外国人であるため経験が長い現地職員の上の立場についていたことには違和感を感じたりしていました。

現地から学ぶ、こういうことはよく言われ、多くのNGOでも大切にされていることだと思います。

そうなんですよ、言ってしまえば団体の派遣においていつもマネージャーのような立場で現地に赴く必要はないと思います。学ぶ側として、情報発信者として、NGO職員を派遣するといったスタンスで現地の方々と関わるのも重要なことだと思います。

実際、出会ってきた東南アジアなどのNGOの職員の能力は高く非常にアクティブで、日本がNGO後進国になっていると感じるほど進んでいると思うことは多いです。

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支援校モニタリングで保護者会からスイーツをいただくことも@カンボジア_2001年

長らく教育の分野で活動されていたと思うのですが、教育支援をするにあたって支援者はどのような心得を持つべきだと考えますか?

教育は読み書きなどの知識や能力を伸ばすという目的もありますが、普通に教育の場を提供するということ自体が子どものためになるというメリットがあると思っています。日本では緊急事態宣言後あっという間に学校が再開したと思いますが、実は学校には知識を得る以上の価値があって、例えば子どもが学校で過ごし、子どもが子どもになれたり、安全でいれたりするための時間と場にもなっているのだと言えます。そういう環境で育っていくことの重要性、また、いろんな友達と交流して違いも受け入れ差別を無くしたり、人とただ争ったりしない、こういうことを小さい頃から学ぶことの大切さをよく実感しながら、教育分野の活動現場に携わらせていただいたと思います。

つまり、意識していた要素を挙げるとすれば、一つは、成績を伸ばすだけの教育ではなく、いろんな人のいる環境で人とのコミュニケーション方法、問題解決や批判的思考、などといったライフスキルをつけるための教育も大切にすること。もう一つは、子どもが学び続けられるための環境づくりですね。

ただ「教育」という言葉自体に注意する必要があると思っていて、上から目線で教えてやっているという感覚というよりは、一緒に成長している感覚の方が近いのかなと思います。

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児童とパートナーNGOとの学校訪問調査で@イエメンホデイダ県_2023年

 国際協力におけるジェネラリストについてどのようにお考えですか?

私自身、東南アジア地域に関心がありながら特定の国に絞れていたわけではないです。アジアの言語も今まで4ヶ国語学んだのですが、関心が広かったからこそいろんな言語をかじってみたかったし、かじってみたからこそ他の地域とも比較できるという今の強みにはつながったかとは思います笑。

以前のNGOに入職した際の面接で「ジェネラリストだよね」と言われました。もちろん東南アジアについて少し知識や経験があったとしても、各国で専門的にやっている団体に入ると地域についてもジェネラリストと見られてしまうのは事実です。

そう言われながら、一度深く関わった地域と新たに関わる文化、価値観においても異なる地域で、例えば、植民地支配を経た歴史や経済・政治構造において通ずるものに気づき、地域や国が置かれた背景について広い視点を持てることもあります。

少し気になったのが、ジェネラリストと言っても何かしら専門性を備えておくべきなのかなというところです。

そうだと思います。やはりいくらジェネラリストだったとしてもある程度は専門性を持って仕事をすることになります。私について言えば、東南アジアは今でも経験値の高い地域として残っています。教育開発は仕事を通して勉強しました。

特にプロジェクト運営の中で評価について関心を持ち、自分でも勉強や実践を積みました。プロジェクトは、計画、実施、モニタリング、評価、フィードバック、改善というサイクルが大切です。ODAプロジェクト実施後何が課題として残って、何を改善・改変するか検討する事後評価の仕事もしました。評価は何か言いたくなる自分の性格にも合っていたのだと思います笑。

自分が関わっていても思うのですが、結構NGOの支援は実施することだけで留まってしまう傾向にあります。振り返って成果の確認だけでなく次に活かすことについて考える、学びのある評価の仕事は楽しいし、非常にやりがいや責任感も感じるものです。

ジェネラリストとして意識するべきことってありますか?

転職することが当たり前の時代になってきている今、それができるための力を身につけることが大事だと思います。自分としての強み、転用可能なスキルを見つけていく、といったことですかね。そして、仕事を通して今自分がどういうことを学んでいるのか客観的に把握しておくと良いように思います。

JVCで活動するようになったきっかけと現在の業務内容を教えてください。

JVCと初めて関わったのはJVCが設立団体の一つであるカンボジア市民フォーラムに20年くらい前に参加した時です。私は当時所属していたNGOでカンボジア担当をしており、このフォーラムのメンバーとして会合ではJVC事務所にも来ていました。カンボジアやラオスに駐在していた際にも現地でJVC職員の方と交流機会がありました。

また、2015年に安保法制導入の動きが持ち上がった際にも、JVCが事務局を務めるNGO非戦ネットのボランティアをさせてもらいました。何かとJVCと接点があったように思います。

そして、2018年に元同僚でもある前事務局長の長谷部さんから声をかけていただき、JVCの理事に就任することになりました。当時開発コンサルタントの仕事をしていたのですが、そろそろ現場に入りたいなと思っていた頃、今度は職員として声をかけていただきました。現地駐在ではなく事務局長とのことでびっくりしましたが、2020年の7月に入職しました。

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他団体で同僚だった前JVC事務局長長谷部さんと@カンボジア_2002年

事務局長は基本的に組織全体を俯瞰して業務を把握する役割があります。

主な業務内容としてきたのは、組織運営として各種規定の整備、JVCの中期目標の5か年計画でも位置付けているPDCA(Plan Do Check Action)を回していく業務です。

入職した頃はちょうどコロナ禍でJVCでも業務がオンライン化していった時期だったので、前から存在していたけれど改定されていなかった取り決めの改善・更新に時間をかけて従事していました。労働環境の改善、テレワーク、フレックスタイムに関する制度や誰が何を承認して決裁するか等について制度を整理しました。会計、労務関係の業務も取り扱いました。

事業の運営については、対面活動が復活してきた2022年からやっと海外出張もいけるようになりました。中でも特にプロジェクトの評価には関わらせてもらっています。広報の進め方の話し合いにも加わることもあります。また、JVCではやりたい人が集まってチームを組んで主体的にプロジェクトを進めていく方法を取るため、私はイエメンチームに入って携わせてもらっています。

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国内避難民キャンプサイトでのインタビュー@イエメンアデン市_2022年

JVCの理念に対する伊藤さんの考え方や国際協力観を教えてください。

難しい質問です笑。

「JVCとは」ということを常に考えさせられている気がします。前職の経験が長いこともあり、今でもJVCの中で自分が新人だと感じてしまうんですよね。ただ関わる中で、JVCが物事の根本にこだわること。問題の表面だけではなく、なぜを突き詰めて、発信していくこと。国によって要因が様々なので、こういう構造をしっかり理解して人に伝えていくことを大切にするところは特徴的で好きなところです。その重要性を今は実感しています。

伊藤さん自身、どういう想いで国際協力に携わられているのですか?

社会の不公正に対して黙っていられない、知らないふりはできないという強い気持ちがあるので、今後も何か生活の中で社会を改善していく動きに関わり続けたいです。

たとえ成果が目の前で出にくかったとしても誰も動かなかければさらに悪化する可能性が高いので、大事なのはそこに関わり居続けること、発信し続けること、そしてやり続けることの三つかと思います。日本の良さというのは海外に出ているとよりわかりやすく感じてくることがあるんですけど、価値観の違いはあれど日本も多くの面において海外に支えられていることは忘れてはならないですよね。

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政府による文化復興支援事業調査時に村の人とフルーツで一息@アフガニスタン_2002年

唐突ですが(笑)、支援のモチベというのはどこからきていると思いますか?

支援のモチベですか笑、なんでしょう…一緒に社会をよくしている感でしょうか。

今まで教育事業に携わることが多かったので教育の話にはなってしまいますが、自分が支援者や現地の職員、人々と活動していって、一緒に学んでいっているという瞬間を共有することが一番のやりがいであり、モチベーションでもあります。それで職員も含めて現地の人々が自立していって旅立っていくのを見届ける、これに自分が関われるということが何よりの喜びです。

ワークライフバランスをどのように保たれているのか教えてください。

のようにシングルですと、自分の時間を自由にできる立場であるという意味で、仕事がライフワークになって没頭してしまう方も多いと思います。

私は仕事のオンオフはしっかり区別するように努めています。私の立場で休暇を積極的にとることで、他のJVCのスタッフの方も休暇が取りやすくなっていると思います笑。私は連続でまとまった休みをとることが多くて、その期間は数日間から数週間のワーケーションまで様々です。週末にはスキューバ・ダイビングやネット配信番組見たりして過ごしていますが、やはり一番の楽しみは旅行です。時間があると次の旅行のために情報集めて計画をしていることが好きです笑。

最近行った旅行がいつも大成功・大満足に終わっているので、いつか旅行の行程作りの仕事ができたらいいのかもと思っているくらいです笑。日々精神的なバランスをとることで、リフレッシュして仕事に戻ることができるので、結構よくワークライフバランスが保てています。

あと日々休暇を満喫したり、仕事に没頭したりすることができるのですが、自分に子どもがいない分、母親として働く同僚が働きやすい職場にすることを心がけています。男性にも理解を深めてもらいみんなで働きやすい職場にすることももちろんです。

最後に、国際協力を仕事にしたいと思っている方々にメッセージお願いします!

社会を変革していく。これは、今の仕事や立場に関係なくどこからでも関わることができます。どこでも関われる場として是非JVCを活用していただきたいです。一緒に社会を変えていく仲間として組んでいける、働ける日を楽しみにしています。

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プロジェクトのパートナーNGO AEIのスタッフとガザで@パレスチナ_2022年

インタビューを終えて

「根本へのこだわり」、「原点に戻る」といった価値観に私も共感するところが大きく、今後も問題解決を考えるに当たって原因を突き詰める姿勢を大切にしていきたいと思いました。支援において評価の部分が疎かになってしまいがちであることを踏まえると、目的と結果を言語化し、次につなげるための振り返りを習慣づけていけるよう、支援に関する知見をより深めていく必要性を感じました。ありがとうございました。(細川)

JVCにはこんな人もいます。

今年度の過去のインタビュー記事は、こちらからアクセスできます。是非アクセスしてみてください!

ラオス事業担当:
スタッフインタビュー「JVCの中の人を知ろう!~後藤美紀さん編~」
スーダン駐在員:
スタッフインタビュー「JVCの中の人を知ろう!~今中航さん編~」

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