スタッフインタビュー「JVCの中の人を知ろう!~並木麻衣さん編~」
こんにちは、2023年度政策提言・広報インターンの細川です。
今回は、広報担当の並木さんにインタビューしました。
並木さんは大学時のアラビア語へのパッションから始まり、パレスチナやイスラエル留学を経て、国際協力の仕事に携わられるようになりました。
誰よりもパレスチナ愛があり、4児の母親としてNGO界で活躍される並木さん。これまでどのようなキャリアを歩んできたのでしょうか。是非最後までお読みください!
(広報担当の並木さん(上)とインターン生の細川(下))
私は大学でアラビア語を専攻していたんですけれど、当時の母校(東京外国語大学)では大学に入る前の入試時点で、専攻言語を選択する必要があったんです。
高校2年生の時に9.11の出来事が起こって以来、さまざまな対立や紛争状態が中東地域で続いていたのをメディアで見ていたのですが……私はこれらの問題について全然知らないなということに気づいて、これがきっかけでアラビア語を勉強することに決めました。
言語を学習したら現地の人々を理解したり、周りで起こっていることに対して私にも何かできることがあったりするのではないかと思いました。ちなみに当時は新聞部に所属していたこともあったので、その流れで当時は、将来ジャーナリストになることを目指していましたね。
それもあるとは思いますが、単に興味の範囲が広かったんだと思います(笑)。
文章や本が好きで新聞部に入りましたが、これ以外にも5つの部活を掛け持ちしていて……文学部、社会研究部、合唱部、弦楽部、放送部で活動していました。これとは別に生徒会副会長も務めました。
私の所属していた高校(千葉県立東葛飾高校)が、色々と生徒の裁量に任せる自由なところだったからかもしれません。ディベート合宿の企画などもあって、、社会と学校が繋がっている環境に自分がいたような気がします。
当時、中間テストは生徒の決断で廃止されていましたし、卒業式で国旗掲揚・国歌斉唱を行うかどうかは生徒の判断に委ねられるなど、自分たちの環境・待遇は自分たちで作るという風潮がありました。そういう環境に自分が入っていたからこそ、社会にも興味が湧いていったといえます。
ゼミについては、パレスチナと平和構築の両方を掛け持ちしていました。本当は国際法のゼミに入りたかったのですが、確かアラビア語の必修授業が被っていて取れなかったんです笑。「根性で国際法の本を読むから入れてほしい」と先生に伝えてみたものの、本を読んでも分からないことはある、と言われてしまい、断念しました。(今思うと、本当にそう!)
そんな私を拾ってくれたのが、パレスチナと平和構築のゼミでした。すごく偶然に入った形ではありましたが、留学前はパレスチナゼミと平和構築ゼミで学習を進め、留学後は平和構築ゼミで卒論を書きました。
テーマとしては「パレスチナとイスラエルの平和構築における日本の役割」ということで、中東紛争の文脈の中で日本はどのような立ち回りができるかを模索していました。日本の援助の例を取り上げ、それが本当にパレスチナ-イスラエル間の紛争解決に役立っているだろうかと分析して考えていました。
これは誰の目線で捉えるかによると思いますが、現地ではパレスチナの立ち位置がイスラエルよりも低い中、日本の援助は双方に目配りする感じで行われているため、現状維持につながっているというのが現状だと思います。そうするとパレスチナ側の不平等な立場、例えば人々が感じる扱いの低さや、自治政府の資源の少なさといった問題は解消されず、そのまま続いてしまいます。困っている人々への支援は傷口に絆創膏を貼っている一方で、占領という双方の不平等さを根本から解決することは難しいといえると思います。
留学は、大学の先生とも相談した上で自分で決めました。留学しないでいると、現地に関する知識は全て、日本で受け取っているニュースの情報からイメージされるものが多くなりますよね。どうしてもバイアスがかかることも多いかと思います。
パレスチナではずっと戦争しているんだろうな、銃弾が飛び交っているんだろうな、子どもは飢餓で大変なんだろうな…とか。ということで大学2年生の春休みに、バックパックを背負って実際にパレスチナに赴きました。そのあと、3年生の夏から1年間、現地に留学しています。
(留学中に、ベツレヘムに行った時の一コマ。留学先の仲間たちと)
実際行ってみると普通に人は日々の生活を送っていました。みんな買い物に行くし、料理もするし、なんなら学校で好きな子もできるし、就活しても上手くいかなくて悲しい人たちもいるし……。そこには生活があります。
(ある日のパレスチナ・ラーマッラーの風景)
(意外になんでもある、カフェのメニュー。パレスチナの食べ物が美味しすぎて、10kg太ったのも良い思い出…)
でも一方で、占領下であることの制約は大きいです。
「今日は検問所を越えられるのかな」と不安に思いながら登校したり、「学校と家の間に検問所がいきなりできてしまって、越えることができないので今日は学校行けないです、すみません」とかいう言葉を耳にすることもあれば、先生が遅れてきて「あー今日検問所がね…」、「ちょっと昨日の夜警察が来てさ…」と言って授業を始めたり、「学生がタイヤを燃やしてデモをしているため、今日は学校お休みです」という連絡がきたりすることもあるなど、こういうのが日本の日常とは大きく違うなと感じたところです。
生活はあるけれど、全体的に「占領風味」なんです。
(何時間も待たなければならない、カランディア検問所)
>面白かったのは、学校の中でも政治的な派閥があることでした。パレスチナの大学では政党の学生部があって、それぞれみんな議論を戦わせたり、選挙をしたりしているのをよくみていて、日本の学校がどれだけノン・ポリティカルなのかを知りました。
>私自身、留学先で近所の小学生からすら「どこの政党推し?」と聞かれることがよくありました。それだけ政治の話は身近にされていて、みんな政治に対する熱意が高いことがわかりました。
ただ現地は日本と違って、選挙がきちんと行われないんです。汚職や裏切りで選挙のプロセスが止まってしまうことが多く、またどこかの政党が選挙に勝ったからといって、イスラエルの占領が終わるわけでもないのが現実で。人々が政治について盛んに議論を行っているにも関わらず、その民意が反映されないという残念な現状があります。
選挙という手段はあっても、日頃政治についてあまり話さない日本とは、対照的に思いますね。あちらでそんなに話し合っているのに政治に反映されないことを知ると、こちらがごめんなさいという気持ちになります……。日本は選挙や政治をする環境がせっかく整っているのに、市民はその議論に対して関心が薄かったり、「推し」がなかったりするのは勿体無いな、と。そういう面では日本よりもパレスチナの方が進んでいると思っていました。
(人々を隔て人権侵害となっている、パレスチナの分離壁を見学した時の写真。今も建設が止まらない)
うですね、留学をしたことで、イスラエル側にもパレスチナ側にも色々な大変な思いをしている人がいて、その中でも普通に生きようとしている逞しさがあることを知ったと思います。でも、留学で知っていたつもりではあったのですが、私が仕事をしていく中でも、苦しい状況でも社会のために貢献したい人々のエネルギーのすごさを、改めて実感させられています。
仕事の中では、大変な状況でも誰かのために何かをしたいと願い、行動する人たちと一緒に、困っている人に働きかけて支援活動をしています。それを通して、「人って、ここまでできるんだ」と驚きましたし、人としても勇気づけられたように思います。
現地にはさまざまな方がいました。ガザ地区を例に挙げると、自分もDVに苦しめられながら、栄養失調の子どもを抱えるお母さんたち一人一人をカウンセリングして、辛抱強く寄り添って子どもの健康状態を変えていくという保健師さんがいました。電気が途切れてしまったり、生活が大変になったりしても、「もう自分の暮らしで、電気は必要のないものと言い聞かせているんだよね」と笑う人もいました。
こんな人たちに恥じる生き方してたらいけないなという、「勇気をもらう」というのもなにか違うとは思うのですが、「襟を正してもらう」ような経験を、たくさんさせてもらったなと思っています。
今では、パレスチナの人々をみて「大変!」と思うよりも、現地の人たちにはそれぞれにちゃんとストーリーがあって、自身で立ち上ろうとしている人々がいるんだ、だから私も力になりたい、という気持ちが、私のモチベーション、原動力になっています。たとえニュースで一面的なところを見たとしても、そうじゃない面がきっとあるんだろうなと考える想像力も、私が大切にしていることです。
(今日もきっと活動している、ガザの元気な女性たち)
パレスチナ問題について、学会でも発表させてもらえる程度には「マニア」になったと思うんですけど、これってやっぱり現場に行っていろんな声を聞いたからこそ、できるようになったんですよね。本を読むだけではなかなかリアリティが湧かなかったと思います。留学して、現場で活動して、現地から学ばせていただく機会がもらえたからこそ、私はここまで見えるようになった、成長することができた、という気持ちがあります。
特に東エルサレムの状況については、日本でなかなか情報が得られなくて、英語の文献を探してもなかなか見つけられないんですよね。
だから現場で、問題を生で見せてもらって、自分でも色々プライベートで聞き取りに行かせてもらったことで見えてきたことがすごくたくさんあります。これらは、JVCを支えてくださる皆さんの支援なしでは実現できなかったことだったと思うと、自分が見て感じたものは皆の、社会の財産だな、社会に還元しないといけないな、という責任感が大きくなりました。
(東エルサレムでどんどん奪われていく、パレスチナの人々の土地や家屋)
先ほど「パレスチナの人々は、日常的にさまざまな困難を抱えながら生活をしている」と言いましたが、そんな中でも私が留学にいった時には、本当にたくさんの人々に助けられ、大変お世話になったんです。それが私の「恩を返したい」という気持ちに大きく繋がったかなと思います。
言語って、人と絡まないと伸びにくい能力だと思います。くだらないこと、日々の会話から大事な話まで、現地の人々が私に根気強く話をしてくれたからこそ、私のアラビア語も伸びたと思うと、恩返しするしかないんですよね。せっかく私に譲ってもらったので、私を支えてくれた人たちの暮らしが少しでも良くなるように返せたらいいな、たとえダイレクトに返せなかったととしても、社会全体になんらかの形で返せたらいいな、という気持ちです。
数えきれない人にお世話になったのは、日本も同じです。何かちょっとしたことを教えてもらったりだとか、美味しいご飯をたくさんご馳走になったりだとか、色々ありまして…もうお返しできない人もいます。恩人がいっぱいいる中で、受けたものを自分の中に留めておしまいにするのは勿体無いので、それはしっかり社会のためにしていければなと思います。恩返しができないものも結構あって、別の人にパスしていく「恩送り」になるケースも少なくはないんですけど、私は頼まれたらあまり「ノー」と言わないようにしています笑。
JVCへの入職のきっかけも、人の縁からですね。元々「United People」というベンチャー企業に勤めていて、そこでNGO/NPOの支援ができるウェブサイトを運営していました。300くらいの団体が登録されていて、応援したい団体にポイントを寄付することができる、クリック募金システムやお買い物のサイトです。
小規模な企業だったので、メンバーも社長・エンジニア・私しかいなかったので、経営に関わるところ以外は、ほぼ全ての業務をやらせていただきました。ウェブサイトの更新、NGO/NPOとのやり取り、メルマガ配信、団体のデータベース作成…それから、さまざまな団体の活動をウェブに載せるという作業もしていました。団体さんの活動を見ていると、「パレスチナに戻りたいな」と思うことも少なくありませんでした。
(ITベンチャーで働いていた頃の一コマ)
入社して2年後くらいには業務委託に切り替え、他の仕事もするようになって、フリーターとフリーランスの間みたいなことをしていました。アルバイトをしながら、スーダンの障がい者を支援する小さなNGOを運営したり、友達とチャリティイベントをやって寄付したりという時期が2年間くらい続いたと思います。
そしてある日、友達とお花見する時に、JVCの人も参加してくれて、その彼がJVCのパレスチナ担当でした。その後、彼が後任を探していた時に、私がパレスチナとアラビア語に詳しかったり、NGOを運営していたりすることを聞いて、「よかったら応募しませんか」という声がかかり……選考を受けて採用されたのが、2013年7月のことです。今年でJVCは10年目です。
(JVCとのつながりのきっかけは、2011年に自分で企画したパレスチナ・イスラエル関係者合同ピクニック@代々木公園でした)
はい、JVCに入って一番変わったのは、「寄付の捉え方」かなと思います。2011年にはシリアの紛争があったので、友達とチャリティパーティーを開いて15万円を集めて、国連UNHCR協会に寄付した経験があったんですけれども、今であればもう少し、分野を検討したように思います。
(2012年、シリアを支援するパーティーの準備中。75人の参加で15万円が集まった)
シリアから難民が出ているから全部UNHCRに寄付だ!という判断だけではなくて、例えば女性にフォーカスしている支援活動の団体にも送ろうとか、特定の地域で活動しているところに送ろう、とか、色々考えて工夫ができたと思います。
自分の送る10万円が、5億円の中の10万円なのか、500万円のうちの10万円なのかによって、寄付したお金の意味合いがが結構違うかもしれない、というのは当時考えていなかったことでした。
JVCに対するイメージも、最初は「NGO団体の一つでパレスチナの支援もやっている」ことぐらいしか、正直知らなかったんです笑。中に入って初めて、JVCのこだわりに気づきましたね。
NGO団体ごとの特色とか、どこからお金をもらっていると何ができて、逆にどんなことができないのか、とか、そういうNGOの違いがすごくよく分かるようになりました。こういうのはやっぱり、中に入らないと見えない、分からないんだなと思いました。
(初めてパレスチナに出張した時の写真。ガザのご家庭にお邪魔しているところ)
今、「JVCは他と比べてどうなんですか」と聞かれたら、「ご飯やモノを配ったり、災害が発生したときにすぐ人を送ったりする、といった分かりやすい、目立つことはあまりしていません。でも、その土地に暮らす人々と向き合い、地元の人たちのところに力が残るように、一緒に考えるプロです」と自信もって言えます。そして、できるだけ社会に対し、現地の声を還元することにこだわっている団体だと言えます。
2019年の頭に、パレスチナ事業担当から広報担当に異動して、この仕事もそろそろ4年が経とうとしています。パレスチナ事業担当を担っていた頃よりも幅広いトピックで、JVC全体の活動を発信し、ご支援をつのり、支援者の皆さんとコミュニケーションをとる部署です。
私がパレスチナ担当時代は触れたことのなかった事業についても勉強したり、スタッフの話を聞いて素材を集めたりすることができるので、見えるものも結構広くなったと思います。
(学校などへの出前講座もよく引き受けています)
パレスチナ事業を担当した後に、自分から異動したいと申し出ました。パレスチナについてある程度詳しくて、その活動に集中していても、パレスチナの情勢はなかなか変えられないんだな……と思ったからです。
私は、パレスチナの情勢について解説することはできても、例えば世界的にインパクトのあるキャンペーンができるかというと、そういう知見もなければ、起きていることをもっと多くの人に知ってもらうためにどういう工夫ができるか、といったことは知らないんです。
だから、パレスチナの状況を改善したいと思うならば、もっといろんな経験を積んでみないと役に立てないかも……と考えて、パレスチナ以外の部分で働きたいとお願いしました。その頃ちょうど、広報マネージャーのポストが空くことになって、いきなりではあったのですが、引き受けることにしました。広報チームがなんでも経験させてくれるところだったので、次々と何でもやらせてもらうことができています。
JVCで働く中で3回妊娠・出産していますが、「女性だから」「子どもがいるから」という理由で、この団体にいて不都合に思ったことはあまりないです。
私が子どもを置いてパレスチナに単身赴任すると決めた時にも、家族はもちろん、団体とチームは応援してくれました。でもイベントの時にその話をしたら、「お母さんは子どもと一緒にいるべき」と私を一生懸命説得してくれる方もいました笑。
こうやって、母親としての立場を考えてくれるのはありがたいですが、時に思うのは、「もしこれが男性だったら同じような展開になっていただろうか」ということです。多分「お父さんは子どもと一緒にいなきゃ!」なんて、あまり聞かないような気がして、少し寂しく感じました。
私が思っていることですが、子どもにとって大事なのは「お母さん一人だけと結びつきが強いこと」ではないと思うんです。大事なのは、子どもの周りにいろんな大人のモデルがいて、何かあった時には「自分のつながりのある大人たちに相談ができる状態」を作っておくこと。親も完璧にはなれないので、私は子どもに対して「親も不完全です〜」とオープンにしながら、いろんな大人と繋がりを作ることを後押ししています。
それが将来、子どもたちが困った時のためのサポートになるのかな、と思っています。そして、色々な考え方・やり方があるとは思いますが、私は私の方法でやらせていただきます!という感じです笑。
(単身赴任でパレスチナに駐在していた頃の写真。貴重な経験が今に活きています)
まあ、実際問題として、時間は限られるとは思います。自分の時間はなくなるし、仕事も質を追求してしまえば限りなく時間が必要ですよね。この仕事って、やろうと思えばどこまでもできちゃうんですよ。働いた分、現地での活動資金が増えたり、発信できること、皆さんにお届けできる情報が増えたりすると思うと、もっともっとやりたくなっちゃう。
でも、家族ができたことによって、いい意味で私が残業できなくなったので、効率性は上がっていると思いますし、これはこれで「人生のステージ」としていい経験かなと思います。
まず、国際協力って、一部の「特別な人たち」が受け持つべきものではないんじゃないかな、といつも思っています。
支援者の皆さんとお話ししていて思うのですが、いろんな人たちがいろんな思いを持って、さまざまな事情で、活動資金を支援団体に託してくださっています。だから実務者として、その想いは本当に大事にしたい。「現地との関わりのある人」「プロフェッショナル」だけが国際協力を独り占めするようなことは、あってはならないなとも思っています。思いがある人は沢山いて、一人一人が貴重な仲間です。みんなで、この世界をより良くしていきたい。
些細な気持ちだったとしても、支援に関わりたい人、現地に想いのある人は十分、国際協力に関わることができます。それは「知ること」、「発信すること」かもしれないし、「実際に現地行って何かをする」ことまで、いろんなバリエーションがあります。「みんなの国際協力」であってほしいと願っています。
仕事にすることについては、私自身はこの団体に入る前に、とても小さなNGOでボランティアしていました。本当に偶然、スーダン人の友人アブディンが立ち上げた団体(スーダン障害者教育支援の会)に入った形です。「ちょっと手伝おうかな」くらいの気持ちで参加した私でしたが、その経験がなければ、今ここにいないと思います。
多分、ちょっと調べて手を伸ばしてみれば、国際協力に関わる機会は結構身近なところにあると思います。あとは自分の状況で、どれだけ食らいついていくか。ちょっと見守る程度にしておくのか、分からないことが沢山あったとしても、どんどん質問・勉強して入り込んでいくのか、要はどれだけ自分事にできるかですね。
だから、本当にこの業界にいきたいなと思っている人は、是非「行動」してほしいなと思います。
最初は「世界には困っている人がいる」とか、問題意識が漠然としていてもいい。活動していく中で、具体的な事例に触れ、心を揺さぶられて、「本当に自分のやっていることが役に立つのか?」「本当にそれが彼らにとって必要なものなのか?」と考え、自問自答して、次のアクションにつなげていくことが、後で活きてくると思います。そういう意味で、漠然と「いいことしている」とシンプルに終わらせるのではなく、現場や当事者の人の話を、謙虚に聞きに行ってほしいな、悩むところまでやってほしいなと思います。
(スーダン・ハルツームの盲学校を支援していた時の写真。視覚障がいをもつ方々との関わりも、スーダンとの関わりも、一つ一つが手探りから始まりました)
スタディーツアーでも旅行でも、どんな形でもいいので、自分が支援しようとしている対象の人たちがどんな人で、どんなことを考えているのかまで、聞いてみてください。私も最初は「パレスチナの人ってこうなんだろうな」って思って業界に入ったんですけど、実際に行ってみたら、私が想像していたよりもずっと素晴らしい人がいて、むしろこっちが学ばせてもらっていると実感することが多かったんです。
現場には、こういう風に立場がひっくり返ったり、一緒になったりすることがきっと沢山あって、こういうことを体感していけるのが、国際協力の醍醐味でもあります。「相手を変えるのではなく、自分を更新していく」、これを是非皆さんにやってもらいたいなと思います。
インタビュー前から日本で知れることの限界を少し感じていたところもあったので、改めて現場で見聞きすることの必要性を強く感じました。個人的にもっと追求すべきだなと思ったのは、当事者と向き合う姿勢なので、ネクストアクションとしては現地に行った際にどのように聞き取りを行うのがお互いにとって健全な関わり方なのか模索したいと思います!そして、そこからさらに次に繋げていくことで、いつかは人にもっと寄り添える自分になりたいです。ありがとうございました。(細川)
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