REPORT

パレスチナ

停戦から半年 - ガザの人々が求めるもの

2008年末から約3週間続いた大規模な軍事攻撃を経て1月下旬に停戦状態となり、半年が過ぎたガザ。蒸し暑く埃っぽい空気の中に、攻撃の被害を受けた建物が相変わらずそのまま立っていて、一方で子どもたちは今年も当たり前のように訪れた夏を海岸で楽しんでいます。破壊された建物を再建するためのセメントや鉄鋼など、物資の輸入が制限を受けているためにまだまだ人々の生活の復興が進まない中、未だ、テントでの生活を強いられている人たちもいます。この日、ガザ北部、ベイト・ラヒアのサラティーン地区にある“テント村”を訪れました。ここでは、JVCが医療物資支援で協力したPMRS(=Palestinian Medical Relief Society=パレスチナ医療救援協会)の巡回診療が行われていました。

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(サラティーン地区の“テント村”ドンキー・カートでクリニックに来ていた家族を迎えにきた少年)

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(PMRSの巡回診療に、多くの人がやってきた)

巡回診療が行われたコンテナー前には、多くの人たちが押し寄せていました。この辺りは90もの家屋が破壊され、約130のテントが臨時でたてられました。仮設の共同トイレは2つあり、今も使われています。基本的に1家族につき1つのテントだったそうですが、こちらの家族は1家族でも10人以上だったりするので、「冬から春にかけてはまだよかったが、夏に入る前には親戚を頼って他の家に移る人が増えた」といいます。何しろ、連日30度を優に超す温度とこの湿度です。今は、このテント村に生活している人はわずかになりました。この村に、PMRSの医療チームは現在2週間に一度やってきています。一般診療、女性診療、子どもの診療それぞれの医師、薬剤師、看護師が来るため、医療サービスを受けるために住民が家族連れで殺到するのです。テント村で生活をしている人々だけでなく、この地域に住んでいる人々も利用しており、1日60人から100人以上の人が利用するとのこと。40歳以上の人々には、血圧の検査と血糖値の検査がを行われていました。また、一週間ほど前に子どもたちの血液検査をしたので、その結果を聞きに子ども連れで来るお母さんも目立ちました。

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(貧血症と診断されたアヤちゃん。お母さんと一緒に薬をもらった)

テントで生活を続けている男性に話を聞きました。住環境や食料や水の調達など、困難が多い生活の様子などを聞いているうちに、男性の表情が曇ってきたのがわかったので、途中でその後ろで小さな子どもたちをあやしている彼の奥さんに話を聞きました。「名前は?いくつですか?」「かわいい子ですね。ご飯はよく食べますか」「今日は何を食べたのですか」「この野菜はどこかから買っているのですか」と話が進むと、後ろでまだ他の人達からインタビューを受けていた男性がこちらに寄ってきて、生活しているテントの中を見せてくれるといいます。

「ここで家族が寝ていて、こっちのテントは炊事場と、水を持ってきて体を洗うスペースがあって・・・」と説明した後に、テントの後ろへと手招きします。ついていってみると、なんとそこには、砂地にもかかわらず小さな小さな家庭菜園がありました。まさかこの“テント村”で家庭菜園を見るなんて想像していなかった私は、びっくり!

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(逞しく育つトウモロコシを紹介してくれる男性)

「これがトウモロコシ、これがモロヘイヤ、これが・・・」と次々と、まだ小さな野菜たちを紹介してくれます。お手製の灌漑システムに、野菜の上には強い日差しを避けるためのカバーもつけていて、丁寧に育てていることがよくわかります。水は?と聞くと、「給水の支援が止まった後、水を支援してくれる知人をなんとか見つけた」そうです。

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(灌漑システムも日除けも手作りです)

“自分の”野菜たちを紹介してくれる男性の顔は、先ほどインタビューに答えていた時の沈んだ顔ではなく、自信と誇りに満ちていました。「すごいですね、モロヘイヤもおいしそう!」と言うと、男性はさらに笑顔になります。「将来的には家も建てたいよ。でも闇のマーケットで出回っているセメントは高くてとても買うことができない」とのこと。しかし愚痴を吐くという感じではなく、はっきりとそう語る男性の口調です。思い切って「今、何が一番必要ですか」と聞いてみました。すると、男性は笑顔だった表情を引き締めて、「封鎖が解除されることだ」と、はっきりといったのです。私がこの状況で生活していたら何と答えていたでしょうか。「水が必要、食べ物も必要。家もない」と、支援を求めていたかもしれません。

彼自身、腕を怪我して以来、以前働いていた工場での仕事を失いました。その工場は現在、原材料が入ってこないために閉鎖されたままだといいます。「工場が再開されたら、また働きたい」といいます。攻撃の被害に遭い、今はテントでの生活を強いられているにも関わらず、支援に頼るのではなく彼自らが何かを始めていること、そして男性の生き生きとした嬉しそうな表情に、心から感激しました。きっとこの男性は、私が奥さんに野菜のことを訪ねているときに、それを聞いていたのでしょう。聞けばその時、「多くの人たちが来ては話を聞いて写真を撮っていくけれども、誰も支援してくれない」と言っていたそうです。彼は、自分が大変な状況にあるということでなく、自分なりに頑張っているところを私たちに見せたかったのだと思います。今はまだ小さな野菜たちですが、そのみずみずしい緑色は、とても力強く、栄養満点に見えました。男性は、帰り際、「あと1ヵ月後にまたいらっしゃい。そうしたら、大きくなった野菜を食べさせてあげるから」と笑顔で言ってくれました。

まだまだ、食べ物や医療品、生活に必要なものなど、支援が必要な人たちが多くいるガザですが、私自身、その男性に元気をもらうとともに、これからガザで何をしていけばいいのか、というヒントをもらった気がします。「支援されるばかりではなく、自分の手で何かをする」ことは、男性にとって、家族を守るという意味でも、ガザに生きる人間としてのプライドを守るという意味でも、大切なことなのだと思います。そして、男性が、人々が求めている「封鎖の解除」。私たちは、その思いを真摯に受け止め、そしてそれに応えられるよう何ができるかを考えていかなければいけないんだ、と強く感じたガザの1日でした。

執筆者

福田 直美

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