停戦後のガザより 11月9日からのガザ・イスラエル情勢について【8】
停戦後ガザ入りして3日目の今日は、JVCのガザ事業「子どもの栄養失調予防事業」の事業地の一つ、ガザ市トゥッファーハを見てきました。普段この地域で活動するボランティアさんのヘクマッドとマハ、AEI地域保健員のハイファも一緒でした。昨日の記事に引き続き、今日見聞きしたことをお伝えしたいと思います。
アブ・ディルアール家は、トゥッファーハにある警察署の隣のアパートに住んでいました。普段は運動場が近くにある穏やかな場所でした。しかし、警察署が空爆された日、彼らの家も完全に破壊されました。単純に、ガザ政府が運営する施設が隣にあったと言うだけで破壊されました。一緒の建物にいた30人のうち5人が怪我をして、40歳になるお母さんが倒壊したビルの下敷きとなり亡くなりました。同じ場所に小さい子どもがいましたが、その子は瓦礫の隙間に守られて、運よく命を落とさずにすみました。残された家族は親戚の家に身を寄せていますが、今日も倒壊した家を呆然と見つめていました。
(奥に見える倒壊した家の中でお母さんが亡くなった。)
アーレフ家も、同じくその警察署の2軒隣に住んでいました。9歳と、8歳と、3歳の子どもがいましたが、空爆があった日3人とも家の中にいて、倒壊したビルやミサイルの破片で大けがをし、今でも病院にいます。破片は子どもたちの頭と、足と、腕を直撃しました。また、お父さんのアーエルさん45歳は、近くの運動場でサッカーのコーチをしていましたが、空爆があった日、膝にミサイルの破片がめり込み、大手術をしないと完治しないと医者に言われました。また、その手術はガザ地区ではできないので、アーエルさんは大好きなサッカーと、コーチという職をあきらめなければなりません。なぜなら、ガザ地区から出ることすら許されませんし、エジプトなどの隣国に手術に行くお金もないからです。
(ちょうど病院から戻ったアーエルさん。)
アブ・ジャラーダ家には3歳になるサルワと、1歳になるモニアが両親と住んでいました。彼女たちの家も警察署から近いというだけで空爆を受け、家の屋根にたくさんの穴が開き、雨漏りがひどい状態です。また、サルワとモニアは、停戦後の今も夜になると泣きだし、空爆におびえて眠れません。
(サルワ3歳(左)、モニア1歳(右))
ジャックラヤード家には、5人の子どもと同じ敷地で女性用の美容院を営むお母さんのジャーベルさんが住んでいました。警察署から15メートル程離れた場所にある彼女の家は、空爆を受けて半壊になりました。また、お店は全壊で、立て直すだけの気力も、資金もありません。パレスチナ難民救済機構(UNRWA)の補助金で家の補修はできることになりましたが、彼女の唯一の収入源であった美容院の補修については、お金が出ないことになりました。理由はわかりませんが、おそらく住居の修繕が優先されたからなのだと思いました。
(ジャーベルさんの壊された美容院。)
モンサウィー家はジャックラヤード家の隣にありますが、周辺の家と同じように空爆されました。しかし、彼らの家への空爆は、これが初めてではありません。2008年のガザ攻撃の際にも同じような被害を受け、今回の空爆もようやく生活が落ち着いてきた矢先の出来事でした。何度も何度も繰り返される破壊行為に、お父さんは、「もううんざりだ」と言っていました。
(家中が壊れたブロックの屑で汚れ、壁にはヒビが入っている。)
今日は、そのほかにも3軒の家を回りました。どこの家も屋根に被害を受けていて、冬が近づくガザでは雨がよく降るのですが、これでは雨・風も防げません。
また、停戦状況にあるとはいえ、人々は一様におびえて暮らしています。またあのミサイルが飛んできて自分たちの家を壊すかもしれない。殺されるかもしれない。大切な人が殺されるかもしれない。いつまたそれが起こるのかを考えただけで、子どもたちも、大人たちも眠れない夜を過ごしています。
JVCはこれまで、子どもの栄養失調予防を目的とした事業をガザで行ってきましたが、それに加えて今後、今回の空爆で大きなショックを受けた子どもたちの精神面のケアもすることができないか、現地パートナーNGOのAEI(人間の大地)スタッフと話し合っているところです。
金子 由佳
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