ガザの声「ただ今は、目の前にあることをみて進むほかない」
ガザ攻撃51日目を過ぎた8月26日、パレスチナ現地時間19時過ぎ、待ちに待った長期停戦の発表があった。早速毎日電話していたプロジェクトコーディネーターのアマルに電話してみると、嬉々とした様子で「みんな道に出て大喜びしているよ!ついに終わったね!明日からまた沢山働かないと!」という言葉と、その後ろで、ご家族の笑い声が聞こえた。私も嬉しくて「ついに終わったね!」と彼女の言葉を繰り返して、お互いが、久しぶりに声を出して笑った。
そして電話を切る際付け加えるように、「とにかく今日はゆっくり寝てね」と伝えた。
時限付の停戦が繰り返されたのち、8月21日から26日まで空爆が再開された。その間、JVCの緊急支援の現地パートナー市民団体であるアルド・エル・インサーン(AEI:人間の大地)のスタッフも、避難所へ通って診療が出来るような状況ではなかった。予測不可能に広範囲に降り注ぐイスラエル軍の砲弾やミサイルの中、動き回るにはあまりに危険が伴っていたからだ。
一方、空爆中でも、AEIの診療所は運営を続け、出来るだけ多くの外来診療にあたってきた。昼夜問わず繰り返される空爆に怯え、スタッフ自身も眠れない日々を過ごした。国際NGO/国連スタッフがガザへの入域を制限されていた中、支える人も支えられる人も被害者という極限状態の支援活動であった。そうした状 況下でも、ガザの人々は互いを支え合ってきたのである。
AEIスタッフの中にも自宅を破壊され、避難を繰り返しながら、それでもより苦しむ人々への支援を続けてきた人々がいる。その中の一人、ムハンマド医師は、停戦の3日前に自宅をイスラエル軍の空爆で破壊された。AEIで働く医師は3人だけ。そのうちの一人が家族とともに(AEIスタッフの言葉を借りて言うならば)"ホームレス"になったのである。
また、7月中旬に自分の家を破壊されて知人宅に身を寄せていたコーディネーターのアマルも、避難先の隣の家が空爆にあい、そこに暮らしていた一家5人が殺されたため、急遽また別の家を探して移動を強いられた。同じ日には、AEI事務所前にもイスラエル軍の迫撃砲が被弾し、事務所の真ん前で2人の男性が殺された。毎日乳幼児を連れたお母さんたちが通ってくるAEIの診療所も、もう少しで大惨事になるところだった。
空爆によって破壊された建物の前で生活する人(8月19日ガザ市AEIスタッフ)
8月31日付の国連発表によると、7月8日からの空爆による死者数は2,104人(1462人が市民、うち495人は未成年・子ども、253人は 女性)、怪我人は1万2百人、行方不明者300人以上、全壊・半壊家屋1万8千戸、今後倒壊の恐れのある家屋7万1千戸に上る。2008-09年と2012年に続き3回目となるガザ地区への軍事侵攻が残した爪痕は、今までの物と比べ物にならない程大きい。
事実、停戦後一週間を過ぎた今日でも、全体で定期的に水にアクセスできる人はガザ全体の10%程度で、停電も多く、下水処理が追いつかない。停戦後家に戻った避難民の多くも、「避難所での生活よりはましだから」という理由で自分の住んでいた場所にあてもなく戻っただけで、全壊・半壊の家の片隅に布団で作ったテントを張って暮らしている。
避難所に残った人は10万8千人まで減ったが、他方で、人々の間では感染症が拡大し、高騰する食材へのアクセスもままならない状況が続いている。
今回多大な被害を受けたガザ地区の復興にかかる費用は、家屋・インフラの復興だけでも、実に6千億円に上ると試算されている。一部では完全復興までに20年かかるという報道もあり、復興費用として目途が立っているのは全体の3割にも満たない。また停戦合意は一時的なものでしかなく、停戦交渉の課題となっている封鎖の解除などについては何ら話し合いの進展が見込めないことから、早くも現地では暗雲が立ち込めている。
待ちに待った停戦だった。人が死なない事がまず先決だから、長期停戦が発表された直後、私は喜び、笑った。しかし一週間たった今、取り組むべき課題があまりに大きく、先が見えない状況であることから、戦争前よりも更に厳しい、ガザの長い冬が始まることを実感している。
今朝またアマルと電話した。言葉通り27日から本格的に仕事に復帰した彼女も、余りに暗いガザの将来に意気消沈している。「何も考えたくない。ただ今は、目の前にあることをみて進むほかないよね」と、彼女は暗い声で話していた。私も「そうだよね」と言うほか、かける言葉が無かった。JVCがガザの人々に寄り添って活動する事に変わりがないが、今後どういう事業が必要か、現地のスタッフと話し合いながら、暗く長い冬を共に越さなければならない。これからが正念場である。
避難所での子どもの精神ケアの様子(9月1日ガザ市AEIスタッフ撮影)
金子 由佳 (パレスチナ現地代表)
2011年、国際政治学部・紛争予防及び平和学専攻でオーストラリアクイーンズランド大学大学院を卒業。直後にパレスチナを訪れ、現地NGOの活動にボランティアとして参加。一ヶ月のヨルダン川西岸地区での生活を通じ、パレスチナ人が直面する苦難を目の当たりにする。イスラエルによる占領状況を黙認する国際社会と、一方で援助を続ける国際社会の矛盾に疑問をもち、国境を越えた市民同士の連帯と、アドボカシー活動の重要性を感じている。2012年6月よりJVC勤務。同年8月より現地調整員ガザ事業担当としてパレスチナに赴任。JVCのプロジェクトを通じて、苦難に直面する人々と連帯し、その時間・経験を日本社会と共有したい。
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