NGOスタッフが過ごす、ガザでの一日(2) 〜妊婦の家庭訪問編〜
こんにちは、現地調整員の任期を終え、東京担当として帰任した並木です。今回は、現地駐在していた頃のガザ出張の一コマを紹介します。
前回に引き続きフィールドでの活動見学ですが、今回は妊婦さんのいる家庭訪問編です。私たちは現地で、子どもの栄養失調予防事業を続けています。パートナー団体は「人間の大地(AEI)」。AEIの保健師がトレーニングした女性ボランティアたちが、ガザ北部・ジャバリアで女性たちへ健康教育やカウンセリングを実施し、子どもの栄養失調予防のために働いています。彼らの活動に同行させてもらった日のことを綴ってみました。
(前回の「病院訪問編」はこちらをご覧ください)
一つめの訪問先は、18人の家族がいる家庭だ。舗装された道から脇に入り、サラサラした黄色い砂地の路地へと入っていった先にある。砂に足を取られそうなこの道では、裸足の子どもたちが駆け回っている。そして路上にロープで吊るされた、たくさんのくたびれたカラフルな洗濯物。私が暮らしているエルサレムや、事務所があるガザ市では絶対に見ない光景だと思う。
(ジャバリアの貧困地区にたたずむボランティアのランダさん)
家に入ると、そこでは女性たちが手作りのオーブンでピタパンを焼いていた。「ようこそ!」と出迎えてくれたのは、40代のお母さん。「ピタパンって、家で焼けるの?!」と驚く私に、「何言ってるの、日本では家でパンを焼かないの? 私たちは何でも自分で作るのよ! 私は13歳の頃からパンを焼いてるわ」「そうよ、こんなに焼いたって2日と持たないんだから。私たちの18人もいるのよ」「お店で買うよりも美味しいし」「あなた、ここに住んでパン作りを勉強していくといいわよ」と娘たちが賑やかに笑いながら口々に言う。床に敷いたシートの上に積まれた、まだ湯気を上げている温かいピタパンに、四方八方から孫たちの小さな手が伸びる。「2日と持たない」というのも頷ける。
今日は暑くも寒くもない、ちょうどいい天気だけれど、家の中で働く女性たちは汗ばんでいる。こういう場所に入れるのも、私が彼女たちと同じ女性だからだ。男性が相手であれば、彼女たちは暑くてもスカーフをかぶらなければならない。写真を撮るのは気を使うものの、「私、女性で良かったなぁ......」と思う瞬間の一つである。
(ピタパンを焼いている様子)
女性ボランティアのランダさんとフェダーさんは、実は彼女たちとご近所の関係だった。彼らの間では、「お昼ごはんを食べていきなさいよ!」「これでも仕事中で、次に予定があるのよ〜」と会話が弾む。お母さんの娘たちと2人は旧知の仲で、抱き合ってあいさつし、近況を報告しあっている。
今日の訪問の目的は、妊婦である娘さんのカウンセリングだった。パンを焼いていた、20代のアーヤさん。予定日は1月20日で、どうやら貧血気味らしい。貧血予防のために摂るべき食べ物について保健師のラナさんが伝えると、「食べるものには気をつけてるし、良くなってきてるわよ!」とお母さんが大きな声で報告してくれる。朝は卵を食べたらしい。ランダさんが、卵の他にもほうれん草を食べることを薦めた。
カウンセリングが終わり、あいさつを交わしてお家を出ようとしたら、娘さんたちがピタパンを袋に詰めて私に渡してくれた。「あなたたちの食事なのに!」と断ろうとしても、「お店のパンより美味しいのよ! これを食べて私たちを思い出して」と笑う。カウンセリングの間に出てきたのも、その場でレモンを絞った手作りの美味しいレモネードだった。
貧しくても笑いが絶えないこの一家を訪ね、外で買ってきた出来合いのものに頼り切りな、自分の食事を省みる。手作りパンは難しいかもしれないけれど、娘のためにもレモネードくらいは作れるようになりたい......と心に決めた。
(子どもたちと女性ボランティア、保健師)
砂地の道を奥へと進んでいくと、行く手を阻むように張り巡らされたロープと洗濯物に突き当たった。その奥に、のれんのように吊るされた白い布。足下には、国連支給の食糧の袋が土嚢になって積まれている。ここから足を踏み入れた二軒目の家はコンクリート・ブロックがむき出しで、部屋と部屋の間は砂地のままだ。「ブロックを積んで何とか家にしてみた」といった感じの、この辺りでは一番の貧困住宅であるように見受けられた。
(国連支給の食糧袋で作った土嚢)
この家は、ボランティアのフェダーさんが移動中の車の中でも「早く行ってあげなきゃ」と他の2人と相談していた家庭だった。カウンセリングの相手は22歳で、ヘーゼルナッツ色の瞳が美しい、5ヶ月の妊婦さんだ。砂地の上にプラスチックのイスを並べて座り、あいさつをした後に、彼女の口からは堰を切ったように言葉が流れ始めた。
16歳で結婚、17歳で妊娠し、娘を産んだという。その後、夫の実家と彼女の実家との間で諍いが起こり、夫から家庭内暴力を受けるようになったため離婚。娘は夫の方に連れて行かれてしまった。
ところが心機一転、彼女が晴れて新たな婚約者を得そうになったところで、元夫が彼女のところに戻ってきた。「新しい家で、家族3人で暮らそう」。彼の言葉にほだされて再婚し、1ヶ月は新しい家に入って、家族3人で暮らしていた。ところが2ヶ月目、夫の「要求」が飲めなくなり、再び暴力を受けた彼女は実家に戻ってきたという。既に彼女は2人目を妊娠しており、「何も食べたくない。産みたくない」と呟いた。何より悪いことに、28歳だった彼の兄が、5日前にガンで亡くなっていた。彼は4人の子どもたちを遺している。
彼女の言葉に耳を傾ける、保健師のラナさんとボランティアのフェダーさん、ランダさん。この日は知識を積極的に伝えることはせず、ひたすら彼女の話を聞いていた。解決策はないものの、「また来るわ」と労る。特にボランティアの2人は、この家から数軒のところに住むご近所さんだ。カウンセリング以外でも、彼女にはいつも気を配っているということだった。
難しい状況に唸りながら、車に戻るために帰り道をたどる。気さくに接してくれ、仕事を見せてくれたボランティアの2人と抱き合って別れた後、ラナさんがささやくような声で教えてくれた。
「彼女の夫の『要求』というのは......。彼の2人目の妻と4人で、一つの部屋に暮らすことよ。夜も一緒。夫婦なら、することがあるでしょう? それを、一緒にしようって言うの。ねえ、私が言ってること、分かる? それを彼女が拒絶したら、殴られたのよ」
一瞬、絶句した。そして考える前に口から出てしまった私のコメントは「そんな奴...... "ズバーレ(アラビア語で「無用なもの、ゴミ」の意味)"だわ!」だった。「そうね、彼にふさわしい言葉かもしれないわ」と苦笑するラナさんは、真顔に戻ってこう言った。
「今日は、何も伝えられなかったわ。今はその時期じゃなかった。本当に難しいケースよ。でもこれからも、私たちは彼女に会いにいくから。しばらく、気をつけてあげなきゃいけないわ。そしてあのボランティアの2人は、それが出来る人たちなの」
AEIの保健師とボランティアが向き合っている女性たちの数は、6,000人を越える。たくさんの家がひしめき合って建つ中、彼女たちは一つひとつのドアを叩いては女性たちと対話している。たまに来て家庭訪問に参加する私なんかよりも、彼女たちはもっと沢山の「難しいケース」を知っているに違いない。
それでも彼女たちは「みんな、友人だから」と言って、妊婦やお母さんのみならず、家族メンバー全員の話を聞き、ときには年配の家族を辛抱強く説得して回っている。活動日以外でも、道端で出会えば近況報告をし合い、隣人として女性たちを気遣う。
女性たちだけでは簡単に解決できない問題も多いであろう中、隣で見守ってくれる心強い同性の「友人」がいることが、まずは女性たちの心の支えになっていれば......と願って止まない。そしてこういった地元の支え合いは、海外から来た異邦人の私たちには絶対に創れないことだと改めて感じている。地元の女性たちと、保健専門のガザのNGOがタッグを組んでいるからこそ、路地の隅々まで細やかに入り込んでいくことができるのだ。
願わくば、今後は男性ももっと活動に巻き込めれば......。それについては、これからも皆で一緒に考えていきたいと思う。
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