外部記事の紹介「ガザではいくらお金があっても良い生活は送れない」
今回は、皆さんにガザの女性が書いた文章「Even Money Won't Buy You a Good Life In Gaza(ガザではいくらお金があっても良い生活は送れない)」を紹介します。
もしあなたに沢山のお金があって、そしてこの世界でガザ地区以外の場所に住んでいたとしたら、何をしますか?
答えを予想してみます。世界中を旅しますか? 最新の車を買いますか? 素敵な家を建てますか? それとも真に愛する人と結婚しますか? 世界中の食事に困っている人々を助けますか? 高級でお洒落な服を着ますか? 世界最高峰の大学で勉強しますか? 最新技術を用いた機器を買いますか? 全ての夢が叶いそうですか?
(汚水が垂れ流しで、入るとただちに熱を出してしまうくらい、汚染された海。)
一人のガザに住むパレスチナ人の若い女性として、私にはそのようなお金は必要ありません。お金持ちになりたくないからではありません。ガザに住んでいる限り、お金が沢山あっても何の意味もないからです!
仮に私が素敵な家を建てることができても、その家を安全な場所にすることができません。なぜならイスラエルの爆撃によって一瞬で破壊されてしまい得るからです。そして私は自分の家の中で死んでしまうでしょう。
仮に私が世界最高の携帯電話や新しいノートパソコンなどの電子機器を買っても、電力危機のせいでそれらを使うことができません。
仮に私がガザの市場で手に入る中で最高の車を買っても、検問所や海、軍事境界壁などにぶつかってしまい、30分以上ドライブすることができません。
仮に私が世界を旅したくても、叶いません。なぜならガザから出るための検問所は二ヶ所しかなく(訳者注:ガザ地区/イスラエル間のエレズ検問所、エジプト/イスラエル国境のラファ検問所)、ほとんどいつも閉鎖されているうえ、特別な許可―60歳以下の人が得ることはほぼ不可能とされる―が必要なのです。一つの検問所を通過する許可をイスラエルから得るために(もし私が幸運であれば)、私はあと34年も待たなければいけません。
仮に私が世界最高峰の大学で勉強したくても、検問所が閉鎖されているので叶いません!
仮に私が一番お洒落な服を着たくても叶いません。ほとんどのファッションのデザインはここの文化と相容れないからです。
仮に私がパレスチナを含め世界中のお腹をすかせた人々のために寄付をしても、彼らに食べ物をあげることはできるかもしれませんが、彼らの尊厳を守ることはできません。
仮に私が結婚して家族を持ちたくても叶いません。自分自身の安全や機会も確保できないのに、どうやって子どもたちの世話ができるでしょうか?
最後に、ガザの若者に夢について聞かないでください。なぜならその質問は、理由の如何を問わず、彼らの顔面を殴るようなものだからです。
人生より悪夢の方がましな場所、ガザからおやすみなさい。
出典:Mar 20, 2018 | BY: Amal Abu Moailque "Even Money Won't Buy You a Good Life In Gaza" Middle East Children's alliance ウェブサイト(記事翻訳:本田美紅)
この文を書いたのはアマル・アブ・モアイレックさん。2016年、「ジャパン・ガザ・イノベーションチャレンジ(注1)」で、彼女率いるチーム"Sketch Engineering"は準優勝を果たしました。彼女はガザの起業家として、現在もガザの社会を良くするためのビジネスを軌道に乗せるべく、日々励んでいます。
年末に筆者が東京で講演会を開催した際も、現地とのテレビ電話中継で2回出演いただきました。彼女の家族の歴史も教えてもらったので、下記に紹介したいと思います。
私のルーツはベドウィン。ガザの近くのベエル・シェバ(ベドウィンが多い地域)出身です。イスラエルによる占領後、彼女の祖父母、両親は難民となってガザ市近郊のボーダーの近くへ移り、そこで2、3年過ごしました。当時はベエル・シェバの領域が広く、避難した先からも故郷を見ることができ、祖父母や両親は故郷に戻りたがっていました。帰還を試みましたが、私の叔父を含む多くの親戚、その他の人々が殺されているのを目撃し、戻ることを諦めざるを得ませんでした。故郷を離れる前にも、多くの親戚が殺されています。
1949年にUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)が来て翌年から活動が始まり、私の家族のいた地域出身の人々はマガジ難民キャンプ(Maghazi Camp)(注2)に移り、私の家族は1983年までそこで暮らしました。キャンプでは、一部屋に一家族が暮らしていました。難民キャンプの建物の天井はプレハブの屋根のような構造で、増築することはできませんでした。アブ・モアイレック家は家族同士のつながりが強かったため、UNRWAの計らいで、近所どうしで暮らすことができました。いつか一緒にベエル・シェバに戻りたいと考えていました。私の父親がリビア、ヨルダン、サウジで、叔父がイスラエル側で働き、海の近くのヌセイラット(Nuseirat)に土地を買い、1983年には皆が祖父へ送金し家を建てることができました。
現在は、マガジ(Maghazi)にはもちろん、デル・アル・バラフ(Deir Al Balah)にも親戚が住んでいます。現在は母親がUNRWAの学校で働いており、その分の稼ぎがあるので食料支援を受けていませんが、同じ建物に住む叔父は失業しているので収入がなく、食料支援を受けています。
彼女はいつも「ガザではお金がいくらあったとしても意味がないのよ...」と嘆いていました。これは彼女だけの意見ではありません。ガザで多く聞かれた言葉です。
確かに「食料を買える」など、お金で解決することもありますが、封鎖の現実は人から夢を奪い取り、物理的にも精神的にも追い詰めます。この文章を読んだ時、筆者も涙を堪えられませんでした。この状況を現地で理解していても、改めて文章になって見てみると、またガザの人たちの抱える辛さ、この状況の理不尽さを再認識し、耐え難い気持ちになるからです。
(それでも海が大好きだと語るアマルさん。気分転換に海辺を歩くのが趣味。)
でも起業家として、1人の尊厳を持った人間として懸命に生きようとする彼女を見ていると、悲しい気持ちになってばかりもいられません。何といってもガザの一番の魅力は「人」です。就職先がないと分かっていても唯一の希望ともいえる「教育」にかけるため大学で学ぼうとする人々や、仕事がなくてもボランティアで一生懸命自分のスキルアップ、社会への貢献活動に取り組む人たちがいます。戦争での被害に加え、昔、イスラエル兵に家を占拠され、「ブタを家に20匹放ったのかと思うほどに荒らされ、コーランまで踏みにじられた」という過去を持つ家族も、「人生は大変だけど、誠実に生きていればいつか報われる」と、神を信じ、明るくひたむきに歩んでいます。
10年間も陸・海・空を封鎖され、ガザの状況は確かに悲惨です。それでも、事業を通して人々に出会うたびに私は、彼ら・彼女たちの「高潔な精神」を封じ込めることはできない、と感じています。
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