REPORT

パレスチナ

パレスチナ事業サポーターさんのパレスチナ訪問!

8月に、日本から4名のお客さまがいらっしゃいました!

パレスチナ事業を支えて下さっているマンスリーサポーターさんとそのご兄弟、ご友人の方々ご一行です。

JVCエルサレム事務所でのブリーフィング

到着日にJVC事務所にて、パレスチナの歴史と現状、JVCの事業について、現地代表の山村から説明をさせていただきました。

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パレスチナ事情に詳しい方も、そうでない方もいらっしゃり、みなさんの各々の角度からご質問くださり、こちらも大変勉強になりました。

その後、Al Zahara Hotelのレストランで夕食をご一緒させていただきました。

いくつか料理をオーダーしましたが、なんと言ってもメインはこれ!

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ラム肉のマクルーベ(パレスチナの炊き込みごはん)通常はチキンが使われますが、この店ではラム肉が使われていたので思わず注文してしまいました!お好みでヨーグルトを混ぜて食べます。

私もこの時初めて食べたのですが、カレー粉のような色だけどカレー味ではなく、パエリアのようなかんじでもなく、不思議な新しい味でした。とてもおいしく、同行されていたサポーターさんのお兄さんが、「今年出会った新しくておいしい食べ物の3本の指に入る!」と大変喜んでくださいました。

シュアファート難民キャンプ視察

翌々日、みなさんと一緒にシュアファート難民キャンプへ視察に行きました。

シュアファート難民キャンプは、イスラエルが一方的に定めたエルサレム市の内部ではありますが、行政サービスが行き届いておらず、治安も悪い状況が続いています(図1参照)。



(【図1】赤線:イスラエルが建設した分離壁、青線:イスラエルが一方的に定めたエルサレムの境界線、緑線:1948年の第一次中東戦争の際の休戦協定で決めた休戦ライン(地図の出典:UNOCHA))

麻薬や銃が手に入るなど、エルサレムで最も治安が悪いエリア、とも言われています。そのため、ここに住む人々は警戒心が強く、治安を守る警察も存在しないため、外国人が中に入る際は、キャンプの住民と一緒に行動するのが最も安全です。(ちなみに、JVC関係者で当キャンプに従兄弟がいる、ベツレヘムの難民キャンプに住むパレスチナ人によれば、「僕も歩いているとどこのどいつだ?と言われてしまうので、用事がないときは極力行きたくないよ」とのことでした。)

現地代表の山村が前回の訪問時に知り合った家族が、私たちを受け入れてくれ、人々がどんな暮らしをしているのか、どんな困難に直面しているのか、話を聞くことができました。
(インタビューの内容は後日別の現地便りでご報告したいと思います)

平日の日中にお邪魔したので、男性たちは不在でしたが、お母さんと娘2人、息子たちの嫁とそれぞれの子どもたちがいて、とてもにぎやかでした。話を聞かせてもらっている間、娘たちが何か台所でごぞごそやっていると思ったら...

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なんと、お昼ごはんを準備してくれていました!

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こちらの伝統的な朝ごはんの一種で、平たく焼いたパンの上にごまと中東のハーブが混ざった香辛料(ザアタル)がオリーブオイルと一緒に塗ってあります。とても香ばしくて美味しいです。

家族の方や、同行してくれたPMRS(JVCの現地パートナー団体)の二人と一緒にお昼ごはんを楽しんだ後、コーヒーとお菓子までごちそうになりました。

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カップの下にコーヒー粉が沈殿するほど濃いアラビックコーヒーと、パレスチナの伝統のお菓子「マアムール」(中にデーツペーストが入っています)。

お宅を後にして、少しキャンプ内を歩くことにしました。
ここは難民キャンプと言っても、いわゆるテントやコンテナがたくさん並ぶキャンプではなく、所狭しと家が連なっている定住型のキャンプです。
今回来て下さったマンスリーサポーターさんは一級建築士の方で、家々を見て回り、なんと危険な建て方をしているのか!と驚いていました。

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訪問者の方々は、実際に自分たちの目で見て、現地の方々の話を聞いて、それぞれに感じるところがあり、考えるきっかけになったようです。私たちにとっても、同行することで新しく知ることがあったり、新たな視点を得ることができ、とても貴重な時間となりました。

訪問して下さったマンスリーサポーターさんの感想

後日、訪問して下さったサポーターさんから、感想をいただきました。

はじめて訪れるパレスチナのキャンプの実状は、建築家として20年以上仕事をしてきた自分にとって衝撃でした。「難民のキャンプ」と伺い、現地へ案内していただく前に私が想像していたのは、仮設的な低層のバラックが連なるイメージでした。しかし、イスラエルの検問を通過した直後から目に飛び込んできたのは、コンクリート、ブロックを積み上げ造られた5階建以上の中層的で都市的な住居群で、遠目からは、難民キャンプというより、「街」そのものでした。 背景を伺うと、もともと僅かな土地しか与えられていないところに、パレスチナ各地で進む分離壁建設で閉めだされた人びとが流入し続けているとのこと、住居は積層化せざるを得ないのが現実だったのです。

本当の意味で私が衝撃を受けたのは、車を降りて、街の入り組んだ路地を歩き始めた時でした。あちこちに点在する、仮囲いのない剥き出しの住居の建設現場、一見しただけで、「構造的な成り立ちが怪しい」、「打設されているコンクリートの不良」等々、建築家の常識を甚だしく逸脱したものだったのです。

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地震に見舞われる頻度は日本とは異なるとは伺いましたし、建築の危うさの度合いは、詳細な調査を待たなければなりませんが、率直な実感としては、即、補強なり、構造的な見直しが必要で、住民は日常的にヘルメットを被って路地を歩く必要があるほどと感じました。

難民キャンプというと、医療、食糧、教育といった、即、人間の生存に必要なものの支援に集中しがちだと思います。もちろんそれらが不可欠なことは言うまでもありません。しかし、キャンプの成立から時間が経過し、暫定的な居住地が、恒常的な生活空間として機能していくと、別の支援、援助の視点も必要となってくるように思います。

「安全に住む権利」は誰にでも与えられなければなりません。その意味では、建築、上下水道、電気など、インフラの専門家から見た課題の指摘、支援のあり様と言うものも考えなければならないと教えられました。

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