「コロナ差別」をパレスチナの思い出にしたくない【後編】 とある日本人留学生の願い
こんにちは。イスラエルでは感染者数の増加速度が止まらない事態を受け、今よりもさらに厳しい外出禁止令が発令される可能性があります。今まではデリバリーはOKとされていたのですが、それも取り締まられる可能性があります。また、コロナに関する家庭内暴力が増えているという報告もあり、イスラエル側も家庭内暴力にあった女性たちが入るシェルターが95%埋まっている、ということでした(※1)。
様々な制約があり、生活をするのは楽ではないですが、食べ物だけは購入できるので、冷静に生活を続けていきたいと思います。
さて、インターンの中村さんがコロナ差別について書いた記事の続き(後編)です。今は中村さんも日本に帰ってしまいましたが、たくさんのことを吸収してくれたように思います。
(前編は一つ前の現地だよりをご覧ください。)
でも・・・
「差別をしないパレスチナの人々もいるんです」と訴える一方で、同時に「何か違う」と感じている私もいました。そうじゃない、私が悲しかったのは、それまで暑苦しいくらいに私たちを歓迎してくれているように見えていたパレスチナの街が、おじさんたちが、子どもたちが、ある日突然私たちを傷つけるようになったことそのものだったはずだと。
占領下のパレスチナの人々に正面から向き合い、パレスチナ社会の問題に取り組む者として、私たちが本当に目を向けなければいけないのは「差別しない人もいる」ことではなく、「こんなにも多くのパレスチナ人が軽々しく差別的言動をしてしまっている現状」なのだと思います。なぜ彼らが、(「差別」という言葉では捉えられないものとはいえ)自分たちもイスラエルによる理不尽な扱いに苦しんでいる立場で、同じようにアジア人を傷つけてしまうのか。そう考えたとき、JVCエルサレム事務所の現地だよりに以前あげられたある記事にヒントがあるように思いました。
パレスチナ人男性が大人になっても子供っぽさが抜けない(やんちゃ、観光客に大声で絡むなど)理由を、彼らが子供らしい子供時代を過ごせていないこと、占領による極度のストレスに日頃から晒されていることなどから考察した記事です。見えにくいけど深刻な占領の影響について読みやすく書かれているので、ぜひご一読ください。
この記事を初めて読んだとき、それまでパレスチナの人々から受けていた過剰なまでの歓待について、私の中でどこか腑に落ちるようなものがありました。もちろんそれが全てというわけではなく、パレスチナの街にはもともと敷居の低いアラブの文化や、客人を精一杯もてなして喜んでもらおうとするホスピタリティ精神があります。しかしそれを超えて、道を歩いていてパレスチナの若者たちが「そんなところから!?」と思うような距離から声をかけてきたり、その辺のおじさんや女子中学生たちまでが寄ってきて話をしたがったりするのには、やはりそれなりの理由や背景があるのだな、と思ったのです。(日本人ということで日本文化好きの人に喜ばれることはありますが、観光客自体はそこまで珍しいものでもありません)
そしていま、私たちが路上で「コロナ」と呼ばれる現状も、彼らパレスチナ人がアジア人観光客に絡みに行くその言葉が「Welcome !」や「シニ!(China)」から「コロナ!」に変わっただけなのではないか、と考えています。それはまた、彼らの言葉や態度に実際のコロナウイルスへの恐れや私たちを傷つけようとする意図、「コロナウイルスを持ち込みやがって!」というような攻撃性がほとんど見られないことからも感じ取れるような気がします。パレスチナの若者たちには、「コロナ」と言いながら普通に横を通り過ぎていくことがよくあります。コロナコロナと騒いでいる子供たちに手を振ると、ニコニコして手を振り返してくれることもあります。「コロナ」と言いながらあからさまに避けていった女子高生たちに少し言い返すと、とても驚いて拍子抜けするほど真摯に謝ってくれたことも実際にあったのです。何度も何度も言われているうちに、彼らはコロナに対して特に思うところもなく、ただよそ者である私たちに反応したり、コロナと結び付けてからかったりしたいだけなのだな、ということが段々とわかってきました。
中には、私たちが近づくと手で口を覆ったり、レストランに入って「中国人じゃないよな?」などと言われたりするような、明らかにコロナウイルスへの恐れから来る扱いもありますが、それはこれまで述べたようなあからさまな差別の見られないイスラエル側でも度々経験するものです。紹介した記事と現在の状況を見比べて、私がコロナ騒動以前に感じていたパレスチナのアグレッシブな歓迎ぶりと今のアジア人へのコロナ差別は、占領や抑圧によるストレスの捌け口という機能のもとで裏表なのだな、と思います。
もちろん、パレスチナ社会の問題を何でもかんでも十把一絡げに占領のせいにしてしまうわけにはいきません。また、それが占領のせいだからといってアジア人や他の誰かへの差別、攻撃を許容することもできません。
しかし、自分たちがしていることが差別だと自覚できるような教育環境がイスラエル側ほど整っていないという格差の裏には、イスラエルの占領やイデオロギーによる障害が確かにあります。パレスチナの人々にこのような言動をさせるその背景の少なくとも一部は、まさに私たちが現地で向き合っている問題そのものだったのです。
(新型コロナウイルスによる外出規制でダマスカス門にも人がいなくなってしまいました)
物理的な嫌がらせもなく、「コロナ!」と言われるだけなのだったら大した差別ではないんじゃないか、と思われる方もいるかもしれません。確かに、現地のアジア人から聞いたごく少数の例(石やゴミを投げられるなど)を除き、身の危険を感じたようなことはほとんどありません。でも実際には、多くのアジア人が心に大きなダメージを受けています。毎日毎日外に出ればコロナと言われ続けた末に、人とすれ違うたびに「言われるんじゃないか」とビクビクして歩くようになります。近くの人が口元に手を持って行くのが視界の端に入るだけで、(自分を見て口を覆ったのだと)心がキュッと傷ついてしまいます。車から「コロナ!」と言い捨てて走り去られたときは、悔しさで涙がにじみそうになります。そしてこうした経験は慣れることなく、胸の奥に堆積していき、ふとした時に溢れ出してはつらく落ち込んでしまうのです。
そうしたつらさに何とか耐え、この状況を乗り切るために、「寄り添ってくれるパレスチナ人もいる」ということは、大きな支えになるのかもしれません。私にとっても、差別をするパレスチナ社会に怒り、パレスチナ人を代表して「ごめんなさい」と言ってくれる友人には、本当に救われています。
でもそれを乗り越えた後に、それでも私たちは、パレスチナの人々が「簡単に差別してしまう」現状に向き合い、その背景にある私たちが立ち向かわなければいけない構造的問題に目を向けなければいけないと思います。そして、それを以て、やはり私たちが活動と支援を続ける必要があるのだということを、むしろ今回の件から再確認するのです。
個人的な思いですが、このことを考えていて私はもう一つ、自分がこれまで「差別せずにいられる特権」を享受していたのだということにも、気づくことができました。差別とは何かを知り、自分の言動を省みることのできる教育水準はもちろんのこと、他文化や異なるバックグラウンドの人々と触れ合う機会、そして、どこかに吐き出さなければいけないほどの強いストレスに見舞われずに済んだ精神的・経済的余裕は、生まれ落ちた場所や環境、これまでの人生の選択や運が少しでも違えば、決して当たり前に享受できたものではなかったのです。このような特権的な立場にある私たちだからこそ、それらを得られなかった人々や現実を理解し、すべての人々がその権利を保障されるまで尽力する責任があるのだと思います。
(事務所近くの空き地では春の花が満開の時期を迎えています)
現在、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大は世界中でさらに深刻になってきました。パレスチナでは西岸地区のベツレヘムで観光客の陽性が確認された後、一気にほぼ完全な都市封鎖状態になってしまいました。半月ほど遅れて、イスラエル側も公共の活動や集会を厳しく制限し始めています。現地のエルサレム事務所でも、西岸地区にもガザ地区にも入れず、パレスチナのパートナー団体との事業が新型コロナウイルス(COVID-19)の対応に関するものになるなど、イレギュラーな対応に追われています。
どうかこの騒動がこれ以上の混乱を招かず、一人でも少なく犠牲者を抑え、一日も早く事態が収まることを祈っています。
※1: https://www.haaretz.com/israel-news/.premium-domestic-violence-climbs-in-israel-as-coronavirus-closure-keeps-families-at-home-1.8701334
(Haaretz, 2020年3月23日の記事)
(執筆:中村俊也(現地事務所インターン)、編集:山村順子)
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