スタッフインタビュー2016 第2回: 人道支援/平和構築グループマネージャー 今井高樹
※本記事は2020年度に書かれたインタビューです。2018年より、今井の現職は代表へと変わっています。
(いつも丁寧に分かりやすくお話をしてくださる今井さん)
みなさんこんにちは。2016年度広報インターンの神矢紀よ実です。スタッフインタビュー2016・2回目は、人道支援/平和構築マネージャーで、南スーダン緊急支援担当の今井高樹さんです。
今井さんは16年12月までスーダン事業現地代表として約10年!スーダンを拠点に活動されていましたが、この1月からは拠点を東京に移し、人道支援/平和構築グループのマネージャーとして、全体を統括されています。とはいえ今(17年3月)も今井さんは南スーダン・ジュバで緊急支援活動を行っており、現場の最前線にいらっしゃることには変わりありません。新聞やTV、ラジオなどにも多く出演されている今井さん、気になる方も多いのではないでしょうか!色々お話を伺いたいと思います。
きっかけは1967年にナイジェリアで起きたビアフラ戦争です。中学校の頃に本で知ったときには終戦していましたが、2年半続いた戦争で多くの餓死者を出し、この戦争がきっかけで有名なNGOの「国境なき医師団」が創設されました。この時、まだ国際協力という言葉も無かったように記憶しているのですが、この頃からアフリカとか、紛争とかに興味を持ち始めて、本などを読むようになりましたね。
はい。2004年の年末に勤めていた一般企業を辞めて、アメリカに行きました。英語の勉強をしたかったのと、アメリカという国を見てみたかったんです。あとは、会社を辞める良い言い訳を考えなくてはいけないなと思っていたところに、ホームステイをしながらアメリカの公立小学校で日本文化や日本語を教えるインターンシップ制度があると知り応募しました(笑)これで、会社をやめるのを引き止められる人はいないだろうと思いましたね。
アメリカでは、自分の指導者になる先生の家でホームステイをさせてもらっていました。指導者がクラスの担任、私が副担任というポジションで日本語や折り紙などを使って日本文化を伝える授業をしていました。ところが、アメリカでは小学5年生になると科目ごとに先生が変わる単科授業になるんです。担任の先生の指導教科が算数だったのですが、担任に研修や会議があると、私が代わりに算数の授業をしなくてはいけませんでした。アメリカに行く前の英語力はカタコトのレベルで、日常会話は程遠いものでした。でも、指導教科が算数でよかったと思います。日本の算数の教育はレベルが高く、数字や文字記号も世界共通なので、ある程度単語を覚えていれば授業はできました。社会科だとアメリカの歴史背景を学ばないといけないし、理科のように内容理解が難しい教科などは教えられなかったと思います。
まぁ、子どもはみんな一緒ですよね。授業中はうるさいし、なぜか殴り合いの喧嘩をしているし、いかに静かにさせるかが大変でしたね。暴力はもちろんしないですけど、「外に立っていなさい!」と厳しく怒ったりもしましたよ。
会社員時代から興味があったCSR分野で活動してみたいと思い、イギリスの調査・研究系のシンクタンクでインターンとして採用してもらえないかと2ヶ月ほどロンドンで生活をしていました。しかし、いい就職先が見つからずにいたところ、もともとボランティアで関わっていたJVCのスーダン事業の募集の声がかかりました。JVCの活動方針に共感する部分も多かったので、応募することにしました。
もう10年もNGOで働いているから忘れちゃったなぁ~!企業では、経営管理部門で予算進捗のチェックなどをしていました。社員それぞれに役職があって、役割分担もはっきりしていましたが、NGOというかJVCではルールが曖昧なことが多いですよね(笑)例えば、企業で物品を購入する時には、購入手続きが決まっていて最終決定権が誰にあるかまではっきりしていましたが、JVCでは個人の責任が大きく、物事の進め方に大きな違いがあるように感じますね。
まずは「自分がやりたいと思う気持ち」が一番大事だと思います。この世界には国際開発学のような専門の知識や経験を持った人はたくさん入ると思いますが、そうじゃない人もたくさんいると思います。この例えを話したら怒られちゃいますけど、経営学を学んでいる人が一流の経営者になれるかどうかは違いますよね。実際に経営で成功している人の中には大学で経済の勉強なんかしていない人もたくさんいます。私は大学では哲学を学んでいたし、国際開発学などを体系的に何かを学んだわけではないです。やっぱり「やりたいという気持ち」が一番大事だと僕は思いますよ。
―やはり現地での経験が重要でしょうか。
そうとは言い切れないですね。私が現地で行っている活動は、ほとんど日本で仕事をしてきたスキルを使っているだけです。例えば、時間を守らなかったりトラブルの多いスタッフをどう教育していくかであったり、彼らのモチベーションを維持させるにはどうしたらいいかを考えています。あとは行政との関係作りが重要ですね。他部署との関係作りは神矢さんも経験されていると思います。NGOとして支援をしに行っているのであるから、地元の行政はいつでも歓迎してくれると思われがちですが、実際は活動を規制されることが多くあります。この地域で活動したいと要請をすると「どんな条件で予算規模はどのくらい、もっと予算を出せないのか」など交渉が難航することがあります。また、行政官の親戚を雇うように押し付けてくることもよくあります。あからさまに断ると活動ができなくなってしまうこともあるので、悩むことが多いですね。
―活動地でどんな支援をするかについては、どう判断されているんですか。
判断は、生活を実際に見ることが大切ですね。難民キャンプなどを歩いていて、食事の支度をしている人たちがいたりします。こういう時に、その食材はどこで手に入れたのか、いくらで買ったのか、お金はどこから得ているのか、など聞くことで様子が分かったりするんです。例えば苦しいながらも生計がある程度立てられている場所に対しては、「もっと状況の悪い場所もあるから、自分の持ってきた資金では支援できない」と正直に伝えることもあります。「検討します」なんて言葉は相手に期待をさせるだけですから、はっきり断ることは相手に迷惑をかけないという意味でも、非常に大事なことだと思います。
現地の人と一緒に活動できることが面白いから、活動を続けられています。支援をして感謝されることが嬉しいというよりも、活動したことで、現地の人の変化を見ると嬉しいです。例えば、スーダン事業では出生登録の活動をしていましたが、我々の規模では、残念ながら対象者全員の手続きができるわけではありません。しかし、私たちの活動を見ていた現地の方が、その影響で、ご自身で出生登録をしに行ったという話を聞いたときには、嬉しくなりますね。あとは井戸の修理支援も行なっていますが、支援をあえてしないこともあります。対象地域で以前に井戸の技術研修を受けた人がいるかどうかを調べてから、支援するかどうかを決めています。もともと修理できる方がいる場所では、わざわざ活動する必要がありません。「JVCは井戸も修理してくれないケチな団体だ」と言われることもよくありますが、私たちが修理してくれないと分かると、研修を受けたことのある方を中心に、自分たちで修理し始めることがあるんです。この駆け引きも面白いですね(笑)
(2006年、当時住んでいたジュバの友人たちと一緒に)
(VCが修理用工具と部品を支援して再び使えるようになった井戸を現地の皆さんと一緒に試運転)
普通ですよ。ハルツーム事務所のベッドで寝ています。現地のベッドは金属のフレームに、床板(マットレスなどを置くところ)にロープを何重にも張るのが伝統的なスタイルですね。
(ベッドの写真はありませんでしたが、現地で人気のライムジュースを飲んでいる時の写真を送ってくれました)
運動部には入らず、学生運動などをしていましたね。大学の学生寮に住んでいて、寮生と山登りなどに行きました。
―学生時代のあだ名はありますか。
あだ名はついたことがありませんね、ほとんど「今井」と呼ばれることが多かったです。
あだ名といえば、ハルツームで行きつけの床屋に行っていたときには、「ゼロ」と呼ばれていましたね。
なぜゼロと呼ばれているんでしょう?こちらのリンクをどうぞ。
はい、行きたいです。さっきも言いましたが、現地の人たちは面白いですから。日本人よりも感情や話す内容がストレートですよね。日本人は間違いや、人と違うことを許さない文化になってきているのに対し、向こうの人たちはそんなことはなくのびのびとしています。人間関係でもさっぱりしていて、いくら喧嘩をして言い合いをしても人間関係が崩れることはあまりないですから。そんな向こうの人たちとまた一緒に活動したいですね。でもしばらくは、東京で人道支援/平和構築グループ全体の事業を確認したり、出張ベースで現地に携わることで、JVCのより良い活動につなげていきたいです。
(憧れの今井さんと2ショット!筆者は来年から、青年海外協力隊でスリランカに行くことが決まりました。その前に今井さんから経験談を聞けて本当に良かったです)
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